大学に入ったばかりの頃は 本当に忙しくて、大げさでなく、全く時間が
とれなかった。
長い休みが やってきて、いざ帰国しようとすれば
待ちきれなくなったママたちが会いに来てくれて、結局
家には帰らなかった、なんて こともあった。
大学に入って、はや3年目。
わたしは ようやく、生まれ育った家に帰って来た。
こんな時期に、ゆっくり過ごすこともできないのに、どうしてかというと・・・
これまた、ひどく遅くなってしまったけれども、成人式のお祝いをするためだった。
ママが用意しておいてくれた、振袖を着せてもらう。
「わー、 桜の模様。 とっても きれいね・・。」
うちの庭にも、桜の木がある。
花の盛りは過ぎたようで、はっきり言って散りかけだったけれど、
わたしは あえて こう言った。
「今の時期に、ぴったりじゃない。」
「まあ、 ブルマさんったら。
お着物の柄っていうのはね、季節を先取りするものなのよ。
もうちょっと、早く帰ってくると思ったから これにしたのに。」
「そうなの、 ゴメン。 でも、ステキだから いいわよ。」
振袖を着るのは、何度目だろうか。
七五三の時、 親戚の結婚式の時。
だけど それらは、まだ、子供だった頃だ。
一番最近は、ベジータと初詣に出かけた時。
そう、 あれは 高校二年、17歳のお正月のことだ。
神社でお参りを済ませて、わたしたちは並んで歩いていた。
当然ながら、すごく 人が多い。
はぐれたりしないよう、腕を組んで 体を寄せる。
『ベタベタするな。 歩きにくい・・・。』
『なによ。 二人っきりの時には、そっちからベタベタしてくるくせに。』
それは もう、何度も、飽きるほど繰り返してきたやりとりだった。
でも確かに、わたしがベジータに こういうことをすると、
どうも べったりした雰囲気になるな
とは思っていた。
密着感が強いっていうか。
もしかすると、背丈が同じくらいだからなのかしら。
ベジータの背が高ければ、もう少し違うかんじに見えるのかしら。
そうよ、 あんなふうに・・・
こちらの方向に歩いてくる、同年代のカップルに視線を向ける。
『あっ・・! 』
あれは・・・。
彼女の方も、気付いたようだ。
『あんたたち、 まだ付き合ってるの。』
目が、そう言っている気がする。
すれ違いざまに、ささやかれる。 今度は、声に出して、本当に。
『ホテル街は、あっちよ。』
その一言は、隣を歩いている ベジータの耳にも届いていた。
『誰だ、あの 派手な女は。 同じ学校の奴か?』
『・・・違うわ。 小学校で一緒だった子よ。』
『ああ、 』
ごく短い反応の後、ベジータは こう続けた。
『あの、たちの悪い女か。』
・・・ あの子には、さんざん悪口を言われた。
持ち物も、よく隠された。
上靴とか傘とか、あまり大ごとにはならない、
もしも ばれたとしても、間違えたと言い逃れのできそうな物ばかりを。
『きれいになってたから、わからなかったのね?』
精いっぱいの皮肉を込めた問いかけに、
こんな答えが返ってきた。
『その逆だ。』
『・・・。』
わたしは より一層、きつく腕をまわした。
『だから、それは やめろ!!』
ふふっ。
こんなにいやがる理由を、わたしはちゃーんとわかってるのよ。
『今さっき、あの子が教えてくれたわね。』
『なに?』
『あっちに、二人っきりになれる所があるって。 今から、行ってみちゃう?』
『バカなことを・・。』
呆れた声を出しながら、ベジータは ちらりと、わたしの晴れ着を横目で見た。
『まあね。 脱いじゃったら もう、一人じゃ着れないもんね。
あっ、でもね、前に 聞いたことあるわ。』
『なにをだ。』
『お正月や成人式の頃にはね、そういう場所に、
着付けのできる美容師さんが何人か派遣されるんですって。
ほんとなのかしらね。』
『知るか。 くだらん・・・。』
そんな話をして、わたしたちは笑った。
その後、彼は尋ねてきた。
『おまえは、大学は どうするんだ。』
ああ、ついに この日が来てしまった。
『・・・。 ベジータは?』
『俺は、 ・・・大を考えてる。』
『そう! あんたなら絶対大丈夫、余裕ね。
・・・大、とってもいい学校だったもんね。』
去年の秋、 文化祭に遊びに行った。 二人で。
とっても楽しかった。
ベジータは きっと、わたしが そこを受けると思っていただろう。
言わなくてはならない。
『わたしね、 〜大学に進むの。』
誤魔化さず、はっきりと発音した。
『会社を継ぐために、必要なの。 だから・・。』
彼は聞き返さない。
その大学が どこにあるかということを、彼は
ちゃんと知っている。
『いつから 決めてたんだ。』
『・・・中3くらいから、かしら。』
『そうか。』
それだけを言った後、めずらしく、
本当に めずらしいことに、ベジータの方から手をつないでくれた。
結構 風の冷たい日で、彼は手袋をはめていた。
はずして、って言いたかった。
手のぬくもりを、直に感じたかった。
だけど 一度離れてしまったら もう、そのままになってしまいそうで、
だから 言えなかった。
遠くにいたって絶対に、あんた以外の人を
好きになったりしないわ。
だから あんたも、そうして。
わたしのこと、待っててほしいの。
それも、言えなかった。
かつて、はっきりとものを言いすぎる、という理由で
クラスの女の子たちから、仲間はずれにされていた わたしなのに。
ベジータと、ずっと仲良く、一緒にいられますように。
ついさっき、そう願ってきたばかりなのに。
結局 あの日は 送ってもらって、そのまま帰った。
何故、はっきりと言えなかったんだろう。
自分の気持ちを。
これから、どうしていきたいかということを。
そのことを、どれほど悔やんだか わからない。
冬休みが終わって、 学校が始まって・・・
わたしはベジータから、距離を置かれるようになった。
同じ町に住んでいても、家が近所というわけではない。
学校は同じでも クラスが違うし、教室のある階も違った。
それまで、わたしの方からばかり 会いに行っていると思っていた。
だけど、そうではなかった。
ベジータは いつも、わたしが来るのを待っていてくれたのだ。
だから、 そうしてくれなくなってしまうと ・・・。
もちろん、何度も電話をかけた。
待ち伏せだって、してしまった。
でも、そのたびに突き放された。
『帰れ。 今、すべきことをしろ。』
いつも、同じことを言われた。
泣いて、泣いて、 それでも涙を拭って、わたしは机に向かった。
そうしていなければ 触れられないつらさに、押しつぶされそうになったからだ。
月日は流れ、季節は移って、また 年が明けた。
わたしは無事に、志望していた大学に合格した。
なのに、信じられない話が 耳に入ってきた。
ベジータが、不合格だったというのだ。
まさか。 そんなこと、あるはずがない。
どうにか つかまえて、問い詰める。
『どうして!? ・・・大は十分、合格圏内だったはずだわ。』
彼は答えた。
『・・・大は、受験していない。』
『えっ?』
どういうこと?
『俺が受けたのは、--大だ。』
『--大って・・。
あそこは今、うちみたいな公立の高校からじゃ
難しいって聞いたわ。』
そう。
わたしも--大に行くことを視野に入れて、いろいろ調べたことがあったのだ。
理由は、わたしの進む 〜大学への編入制度が設けられているためだ・・・。
わたしは、はっとした。
『ベジータ・・、』
『難しいといっても、不可能ってわけじゃない。 出題傾向は つかんだ。』
一旦言葉を切り、はっきりと彼は告げる。
『来年は必ず、合格してやる。』
『うん・・。 あんたなら、大丈夫ね。 頑張って。』
わたし、待ってるから。
その一言を付け加える前に、彼は言った。
『もう、 行け。』
大学や、むこうで住む所との手続きの都合で、わたしは すぐに発たなくてはならなかった。
だから、卒業式にも出られなかった。
あの日から、二年余りが過ぎた。
ベジータには、あれっきり会っていない。
電話はおろか、メールすらない。
今回の帰省で、決めていることがある。
大学に戻る前に、この家にいる間に、彼に 必ず連絡をとる。
そして、確かめるつもりだ。
ベジータの、本当の気持ちを。
わたしたちは果たして、まだ続いているのかどうかを。
その時。
玄関のチャイムが鳴った。
「あら、もう いらしたのかしら。」
ママが椅子から立ち上がる。
「え? 誰か来るんだったの?」
「カメラマンのかたよ。 家にお呼びしたの。」
「えーっ、わざわざ? 写真館に行くのかと思ってた。」
成人式は だいぶ過ぎてしまったけれど、
家族で記念写真を撮るつもりなのだ。
「だって、せっかく この時期でしょう。 背景に、お庭の桜を入れたかったのよ。」
廊下から、ママの声が聞こえてくる。
「あらっ、まあ!! 久しぶりねえ、すっかり立派になって!」
誰? カメラマンの人じゃないの?
「ブルマさん、 ブルマさん、いらっしゃい!」
「なによー、 もう。」
着物だから歩きにくい。
「早く 早く!」
「・・・。」
こんなことって、あるのだろうか。
玄関に立っていたのは ベジータだった。
ネクタイをしめ、きちんとしたスーツに身を包んでいる。
中学も高校も、制服はブレザーだった。
だけど、全然違うと思った。
「さあ さあ、遠慮しないで あがってちょうだい。」
ママの、うれしそうな声。
当のベジータはといえば 躊躇することもなく、用意されたスリッパを
行儀よく履いている。
まるで、当然みたいな顔をしながら。
だけど、もっと驚いたのは・・・
「やあ、ベジータくんか! よく来てくれたねえ。」
居間でくつろいでいたパパの、大歓迎ぶりだ。
そりゃあ うちのパパは もともと来客好きだし、
ベジータと顔を合わせたことも あったんだけど・・・
「どうなってんの。 いったい どういうことなのよ、あれ。」
お茶を出すために キッチンに向かったママを追いかけて、矢継ぎ早に質問をする。
「なんで、あんなに 和気あいあいなわけ? 今日、来ることになってたとか?」
「お約束はしてないんだけど・・、」
のんびりとした口調で、ママは答える。
「パパね、去年から --大の特別講師になってるのよ。
そこで仲良くなったんじゃないかしら。」
パパは、--大のOBだ。 その縁なのだろうか。
「だからって いきなり・・・。 ずっと、音沙汰無しだったのよ。」
「そうなの? うちには一度、お電話くださったのよ。 大学に合格しましたって。」
「なによ・・ わたしには何にも・・・。」
「その時にね、 ママ言っちゃったのよ。
ブルマさんは 遠くにいても、ずっと変わらず、あなたのことが大好きみたいよって。」
「・・・。」
「もしかしたら、 それで安心しちゃったのかもしれないわねえ。」
もう、 イヤッ! これまでに流した涙、返してほしいわ!
「ブルマさん、お手伝いしてくれないんなら、あっちで
お話してきなさいな。」
口をへの字に曲げ、着物の裾を乱しながら、ずんずんと歩く。
やや乱暴にドアを開いて、ソファに どっかりと腰をおろすと、にこにこしながら
パパが言った。
「ベジータくんは、他の学生の手本にしたいくらい優秀だよ。」
謙遜なんかはしないけれど、ベジータは
あくまで淡々としている。
「ブルマのそばに 君みたいな人がついていてくれるなら、僕もママも、心から安心できるよ。」
なんだか・・・ うれしいんだけど、ものすごく
くやしい。
だから、言ってやった。
隣に座っている、ベジータに向かって。
「あんたの家にも、挨拶に行った方がいいんじゃない?
なんだったら 今から、一緒に行ってもいいわよ。」
「今日は いい。」
即座に答える。 でも、まるっきり動揺していない。
「おまえのことは、もう話してある。 うちに来るのは、大学を卒業してからでいい。」
なんなのよ、 その周到さ。
わたし一人が、蚊帳の外ってことじゃないの。
言い返す言葉を探していると 再び、チャイムの音が聞こえてきた。
「カメラマンのかたが いらしたわよー。」
ママの声。
「おお、じゃあ 撮ってもらおう。 さ、ベジータくんも一緒に。」
散りかけの桜を背景に、何枚かの家族写真を撮った。
せっかくだからと 促されて、ベジータと二人だけのものも撮ってもらった。
カメラマンの人からは何度も、「もう少し 笑ってください。」 と言われてしまった。
無愛想なベジータだけでなく、わたしにも何度も。
撮影が済んで居間に戻った後、
そのことを気にしていたらしいママが言った。
「ね、 ブルマさん。 ベジータちゃんとお出かけしてきたら? 久しぶりでしょう?」
「出かけるって、どこへ・・。」
「桜を見てきたら? ○公園なら、まだ きれいに咲いてるんじゃないかしら。
あそこのは確か、うちの庭の桜とは種類が違うのよ。」
仕方なく、尋ねてみる。
「・・・ 行ってみる?」
「出かけるなら、着換えろ。」
やけに 小さな声で答えた。
「どうして? せっかく、この時期に合わせた着物なのに。」
「一人では着られないと、前に言ってただろうが。」
確かに、言った。 あの、初詣の時。
一度脱いでしまったら もう、一人では着られないと・・・
「ふう〜ん。」
じりじりと近づいて、顔を覗き込んでやる。
「な、なんだ。」
うろたえた顔。 頬も ほんのり、紅く染まって・・・。
そう、 そうよ。 わたしは、この顔が見たかったの。
キッチンの方に行っていたママに、大きな声で呼びかける。
「ママー。 せっかく着せてくれたのにゴメンね! 着物、脱ぎたいの!!」
「あら、どうして? とっても きれいで、よく似合ってるのに。」
「ベジータがね、わたしは洋服の方が似合うって言うのーー!」
「・・・。」
くやしそうに、歯噛みしている彼。
その顔を見ていると、胸のつかえがすーっと
下りた。
それと同時に・・・
不安で泣いて過ごした夜や、会えなかった苦しみさえも、
どこかに消えていくような気がした。
外に出た わたしたちは結局 すぐに・・・
『二人きりになれる所』 に向かってしまった。
ママに薦められた、桜並木のある公園にも行かずに。
「ずっと ほったらかしだったくせに、どうして いきなり来たのよ。」
「二十歳になったら 親に話をしに行くと、言ってあったはずだ。
忘れたのか?」
「忘れるはずないわ。 でも あの一言だけじゃ・・。
それに、高校の最後の一年間! なんで
あんなに冷たかったの?」
「あの時は、そうしなければ 共倒れになった。」
「大げさね。 わたしは、倒れたりしなかったわ。
わたしのことが好きすぎて、なんにも手につかなくなってたのは、
あんたの方でしょ!」
「なんだと! 誰が・・・!」
そんなふうに言い合いをしながらも わたしたちは、
決して離れまいとするかのように、ぴったりと体を寄せ合っていた。
「連絡ひとつ よこさなかったのは どうしてよ・・。」
「同じだけの間、俺に隠し事をしていただろうが。」
久しぶりの、ベジータの腕の中。 幸せすぎて、気が遠くなる。
いったい何年ぶりなのか、数えなければ わからないほどだ。
唇に 彼のそれが押し当てられた時、わたしは泣いた。
本当に、少しの間だったけれど。
その場所を出てから、例の公園に行ってみた。
うちの庭にあるものとは 種類が違うという桜は、もう すっかり 終わってしまっていた。
もしかしたら、ママは わかっていたのではないだろうか。
仲直りさせようとして、ああ言ってくれたのかもしれない。
「うちの両親、優しいでしょ。
多分ね、どんなに ひどい男の人を連れてきたとしても、笑顔で迎えてくれると思うの。」
「・・・。」
「もっと言えば、わたしが何の努力もせずに遊び呆けてたって、
頭ごなしに叱ったりはしないんじゃないかしら。」
でもね、 と 続ける。
「そんなこと、しやしないわ。 パパとママを、悲しませたくないもの。 喜ぶ顔が、見たいんだもの。」
ベジータは、何も言わない。
だけど、手をつないでくれた。 もちろん、彼の方から。
「いつ、むこうに戻るんだ。」
答えたくなかった。
見送りになんか来られたら、わんわん泣いてしまいそうだ。
逆に尋ねる。
「あんたは? 編入制度、利用するつもりなんでしょ? いつ来るの?」
「・・・ 早くても、来年だな。」
そうよね。 一浪しちゃったし・・。
「それまで、休学しちゃおうかな。 それで来年、あんたと一緒に、大学へ戻るの。」
「バカなことを言うな。」
「わかってる。 すべきことをしろ、でしょ。 冗談よ・・。」
とっぷりと暮れた空を見上げる。
桜は終わりだったけれど、星は とっても きれいに見える。
「これからは、休みのたびに帰ってくるわ。
あんたも、電話くらいしてよ。 メールでもいいわ。」
「気が向いたらな。」
「もうっ・・。」
手袋をはめていない ベジータの、手をしっかりと握りしめる。
彼は ちゃんと、約束を果たしてくれた。
わたしのために、ううん、何より 自分自身のために、努力を惜しまない。
だから わたしも、もっと もっと、頑張らなくてはいけない。
来年も、ここの桜は見られないかもしれない。
だけど、 もっと先なら きっと・・。
だって わたしたちは ずーっと一緒で、いずれ 家族になるのだから。
「やっぱり明日、あんたの家に ご挨拶に行こうかな。」
「まだ いいと言っただろうが。」
「心配しなくても わたし、ちゃーんとお行儀よくするわよ。
今日の あんたみたいにね。」
そんなことを言い合いながら、星空の下を歩いてゆく。
「ちょっと寒くなってきちゃった。」
甘えると、つないだ手を、背広のポケットに入れてくれた。
「あら?」 ・・・
温かいポケットの中には、桜の花びらが入っていた。