MOTHER

小学生パラレルです。『ガールの法則』の続きです。

春休みは つまらない。

長さが中途半端なうえに、盆や正月と違って 大人たちは普段通り 仕事が忙しい。

新学期には クラスも担任も替わってしまうから、宿題は無い。

予習でも しておこうかと思っても、始業式の日に登校するまで、教科書が手元に無いのだ。

 

洗濯も掃除も、とうに終わらせてしまった。 

いつもならば 夕飯の支度という大きな役目が彼女にはある。

だけど今日は、簡単に済ませてしまうつもりだった。

父親の帰りが、いつもよりも遅くなる予定だからだ。

彼女には母親がおらず、兄や姉もいない。 

だから 夜、一人になってしまわないよう、そういうことは滅多に無かった。

 

ぽっかりと空いてしまった午後。 

彼女・・ チチは、ほんの少しだけ 冒険がしてみたくなった。 

ブルマの家に電話しようとしたけれど、思いなおす。 

今日は、道場が開いている日だ。 ブルマは、そこに行っているのではないか。 

ボーイフレンドである、ヤムチャの姿を見るために。

 

武天老師が率いる亀仙流の道場には、近所に住む子供たちが通っている。

チチが密かに想いを寄せている少年、孫悟空も 教え子の一人だった。

春休みに入ってから悟空に会っていないチチは、彼の顔が見たいと思う。

だが・・  ブルマは そういうことは あまり気にならないようだが、

理由というか、何か口実が無ければ 入って行きにくい。

悟空ほどではないけれど、いつもおなかをすかせている 元気な男の子たち。

差し入れを持っていくことを、チチは思いついた。

 

さて、何を作ろうか。 

家に帰ればお母さんが作った夕飯が待っているのだろうから、おにぎりなどはやめておく。

かと言って、クッキーなどというのも・・・。 

もう少し、おなかの足しになりそうなもの。

考えた末、チチは蒸しパンを作ろうと思い立った。 

簡単だし、家にある巨大な蒸し器を使えば、ある程度の数がいっぺんにできあがる。

チチは早速、戸棚から必要な物を取り出した。

 

一時間余りが過ぎた。 

うまそうにできあがった蒸しパンを、大きな容器に崩れぬように詰めていく。

一人だけで こういうことをしてしまうと、不機嫌になる女の子は多い。

けれど ブルマはそんなことはない。

その代わり きっと、こんなふうに言うはずだ。

『孫くんに食べさせたくて、わざわざ作ってきたんでしょう?』 

『ほら、あそこ。 一人でいるわよ。 話しかけてきなさいよ。』 ・・・

 

それは それで、奥手なチチは困ってしまう。

 

その心配は無用だった。  道場に、ブルマの姿はなかった。

ちょうど、終礼を迎える時間だった。 

チチは、幸いにも出入り口の近くに立っていてくれた 武天老師に挨拶をする。

実は彼女の父親は、かつて この老師の教え子だった。 

彼女自身も 低学年の頃までは、この道場に通っていたのだ。

だんだんと男の子の力についていけなくなり、なんとなく つまらなくなって やめてしまった。

転校してきた悟空が この道場に通い始めたのは、その後のことだ。

もう少し、あと少しだけ頑張って、続けていればよかった。 

時々 そんなふうに思うことがある。

 

皆に向かって、老師が声をかける。 「おーい、差し入れをいただいたぞ。 手を洗ってきなさい。」

うんと体を動かして おなかをすかせた少年たちが、机の上に置かれた容器に群がる。 

なのに・・ 肝心の、悟空の姿が見えない。 

「やあ。」 ヤムチャが、チチに話しかける。 

「悟空の奴、来てないんだよ。 もしかすると また、ぶっ倒れてんのかもしれないなあ・・。」

「え? 悟空さ、病気だか?」 

驚いて尋ねる。  そんなことには、まったく縁がなさそうなのだが。

「いや・・ 腹をへらして、なんだ。 前にも何度か あったんだよ。」 

やや言いにくそうに、ヤムチャは続ける。

「悟空の家、母さんがいないだろ。 

おやじさんが泊まりの仕事に出る時、メシ代を置いていくんだけどさ、

悟空の兄貴がそれを使いこんじまうらしいんだよ。」

「そんな・・。 ひどいだ。」  

老師も口を挟む。 「とにかく ここに来れば、何か食わせてやるからと言っておいたんじゃがのう。」

 

容器に、蒸しパンが3つほど残っている。 チチよりも早く、ヤムチャがふたを閉める。

「これ、持ってってやれよ。」

 

 

あがったことは無かったけれど、家の場所は知っていた。

顔が見たくて、用も無いのに 買い物に出た際 わざと回り道をしたこともあった。

何度も玄関のチャイムを押す。 なのに、返事が無い。 

仕方なく、ドアノブを回してみる。  開いた。

「こんにちは。 お邪魔するだよ。」 

脱いだ靴をそろえ、ほこりっぽい廊下を経て またドアを開けると・・・

「悟空さ?!」  「・・・ 」 

 

目当ての人物が、床の上に倒れていた。

「だ、大丈夫だか?」 「腹、へっちまって 動けねえ ・・・ 。」

力の無い声。 チチは急いでふたを開け、蒸しパンをちぎって悟空の口に運んでやった。 

「うめえ・・。」

よかった。 その一言に、思わず笑顔になってしまう。

その後は、果たして ちゃんと噛んでいるのかと心配になるほどに、

ものすごい勢いで口に詰め込んでいる。

飲み物を持ってきてあげようと、遠慮しつつも 冷蔵庫を開けてみる。 

だが本当に、なんにも入っていない。

仕方なくチチは、あまりきれいではないコップをすすぎ、水道の水を注いで悟空に渡した。

一気にそれを飲みほした悟空は、溜息とともに口にする。 

「はあ・・ やっとしゃべれるようになったぞ。」

 

なんとか元気を取り戻したようだ。 けれど どう見ても まだ、満腹では なさそうだ。

おらの家に来るか。 その一言を告げるべきか、チチは迷う。

事情を話せば 彼女の父親は怒るどころか、連れてこいと言うだろう。 

だけど生憎、今日に限って帰りが遅いのだ。

どうしようか。 

ああ、ブルマだったら こんな時 きっと、迷うことなど 一つも無いのだろう・・・。

 

チチが思い悩んでいた、その時。 玄関の扉が開く音がした。

間もなく、ショートヘアの いかにも気の強そうな顔立ちをした 若い女が現れた。

悟空が口を開く。 「あ、パセリ。」 

「・・パセリじゃねえよ。 何度言わせんのさ。 わざと間違えてんの?」

どこかで買い物してきたらしい、食べ物の入った 大きな袋を携えて、女は台所へと消えて行った。

 

「誰だ? あの女の人・・・。」 チチが小声で尋ねると、悟空は こう答えた。 

「父ちゃんの仕事仲間だ。」

 

台所から、流水の音が聞こえてくる。 何か作るつもりなのだろうか。

じゃあ、 おらは帰るだよ。 いつものチチならば、そう言っただろう。 

だけど、今日は違っていた。

 

「あの、 おらも何か手伝うだ。」

女は、買ってきた野菜を 流しで洗っていた。 その背中に向かって、声をかける。 

「おら、料理は得意だ。 何でもやるだよ。」

返事の代わりに、女は無愛想な声を出した。 「ちっ、 この包丁、全然切れやしない。」

それを聞いたチチは すかさず、戸棚らしき物から どんぶりを取り出し、逆さまにして差し出した。

「・・なにさ?」 やっと口を開いた。 

「この、底の所で研ぐといいだよ。」

女の、きつい目元が ふっと やわらぐ。 「じゃあ、ここは あんたがやりな。」

包丁を置くと 女は、古ぼけた大鍋で 湯を沸かし始めた。

 

「はー、 うまかったー。」 

何度かおかわりをして、悟空の腹は ようやく満たされたようだ。

「いつも ラーメンばっかだけど、パセリの作るやつは うめーぞ。」 

「だから、パセリじゃないって言ってんだろ。」

大鍋で女がこしらえた料理。

それはインスタントラーメンに、たっぷりの野菜炒めを のせたものだった。

「もっとマシなもんだって作れるんだ。 この家には道具や食器が ろくに無いからさ。」

「ごちそうさまでしただ。」 食べ終えたチチが、口をはさむ。 

「おいしかっただよ。 野菜がたくさん食べられて、体にもいいだ。」

 

それには答えず、チチに向かって 女は尋ねた。 

「あんた、家に電話しなくていいの?」

うなずいて答える。 「うちのおっとう、今日は帰りが ちょっと遅くなるって言ってただ。」

「こいつんちも、母ちゃんが いねえんだ。」 

悟空の言葉に、女は 「そうか。」と、短く返した。

 

しばしの沈黙。 

「じゃあ、帰る前に洗い物をしていくだ。」 チチが口を開きかけると、藪から棒に悟空が言った。

「母ちゃん。」 「・・・?」  チチではなくて、女の顔を見ながら。

「!? な、何言ってんだよ。」 

「兄ちゃんが言ってたの、思いだしたんだ。」 いつもの調子で、悪びれもせずに 悟空は続ける。

「パセリのことを 母ちゃんって呼んでやれば、喜んで 小遣いくれるかもしれねえぞって。」 

「あの ろくでなし・・・。」 

本当はセリパという名の その女は、耳たぶまで真っ赤になった。 

「帰ってきたら 伝えな。 今度会ったら、ただじゃおかないってな。」

 

悪態をつきながら、乱暴な手つきで 食器を下げ始める。 

チチも流しに並んで立って、セリパが洗った食器を流水ですすいだ。

きれいに拭いて、棚に片付けるまでしていきたかった。 だけど、布巾が見つからなかったのだ。

 

その時。 再び、玄関が開く音が聞こえた。 

悟空の兄が、帰って来たのかと思った。 だが、そうではなかった。

「父ちゃん。」 

悟空と何かを話しているけど、流水の音で よく聞こえない。 だが 間もなく、彼は台所に顔を出す。

背が高く、がっしりとした体つきの、いかにも腕っ節の強そうな男。 

怒らせたら、さぞかし怖いのだろう。 この家に物が少ないのは、もしかして・・。

頬にある大きな傷と 鋭い目元以外は、息子である悟空にそっくりだ。 

「来てたのか。」  ああ、何だか 声も、良く似ている。

 

セリパに話しかけたのだろうに、背中を向けたままで、彼女は返事をしなかった。

けれども 頬には赤みが差して、薄い唇には 笑みが浮かんでいた。

 

 

家まで送ってやるよう命じられ、悟空は チチと並んで歩いている。 

悟空は、そういうことに 疑問を差し挟まないのだ。

チチが口を開く。 「なあ、悟空さ。」 「ん? なんだ。」 

「あの、セリパって人・・、」 お父さんの恋人だか? 尋ねようとして やめる。 

その代わりに、こんなことを言ってみる。 

「悟空さの、お母さんになるかもしれねえだな。」

・・・余計まずかっただろうか。 けれど悟空は、笑って答えた。 

「母ちゃんかあ。 それもいいな。 そしたら父ちゃんがいない時でも、メシが食える。」

 

この少年ときたら、食事を与えてくれるのならば、誰でも構わないのだろうか。 

だけど、仕方がないと チチは思う。

おなかがすくと悲しくなるし、家に夜、一人でいるのは とても寂しい。 

そのことを チチは、よく知っていたから。

 

もうすぐ家に着いてしまう。 その前に、質問をする。 少し前から 気になっていたことを。 

「あの・・悟空さは おらの名前、わかってるだか?」

「名前? おめえのか?」 「んだ・・。」 まさかとは思うが、少々不安だ。 

「わかってるよ。 チチだろ。」

 

ちゃんと呼ばれたことは、もしかすると初めてかもしれない。 

チチの胸の奥が キュン、と音をたてる。

「だって、逆さに読んでも チチだもんな。 間違えっこねえよ。」

 

確かにそのとおりだ。 二人はケラケラ、声をあげて 笑ってしまった。

 

家が見えてきた。 手を振って、二人は別れた。

 

日が落ちた空を見上げて、チチは考えていた。 

春休みなんか、早く終わってしまえばいいのに。 

そして できれば、また同じクラスになれますように・・・。

 

チチの願いは叶えられた。  だが、ブルマは隣のクラスになってしまった。

新学期が始まって、しばらく経った ある日。 

チチは中休みに、隣のクラスを覗いてみた。

女の子たちがおしゃべりをしている輪に加わることなく、ブルマは一人で本を読んでいた。

 

「ブルマさ・・。」 「チチさん。」 本を閉じて、ブルマは笑顔を見せた。 

あいていた 隣の席に腰をおろす。

「おらのクラスにも、遊びに来ればいいのに。」 「うん、そうね・・。」 

ブルマにしては、曖昧な答え方だと思った。

ヤムチャと別れてしまったという噂は、チチの耳にも届いていた。 

この年齢で 付き合うということさえもピンとこないのに、『別れる』。 

もはやチチには、何の助言もしてあげられなかった。 

 

「それよりさ、また うちにも来てよ。」 

ブルマの家に遊びに行くと、彼女の母から 料理を教えてもらえる。

「ママね、チチさんのこと、いつも すごく誉めるのよ。 お料理の才能があるって。」

そんなことを話していると、不機嫌そうな声が 耳に飛び込んできた。 

「俺の席だ。 どけ。」

びっくりして振り返ると、目付きの悪い少年が立っていた。 

「ベジータ。」  ブルマが、その少年の名前を呼んだ。

背は高くなく、伸びた前髪が やや鬱陶しい。 

「なによ、感じ悪いわね。 休み時間じゃないの。」

抗議しているはずの ブルマの声が、どこか弾んでいることに チチは気付いていた。

 

ブルマが 男の子と話していると、ヒソヒソと 耳打ちし合う女の子たちがいる。

だけど、ブルマは負けないのだろう。 

武道をたしなんだことがなくても、ブルマはとても強いのだ。

 

自分のクラスに戻り 、早めに席に着いたチチは 次の授業の準備を始める。

シャープペンシル一本だけでは済まさず、何本かの鉛筆を、きちんと尖らせてある。

チチはとても忙しいのだ。 

なぜなら、隣の席の男の子の面倒をみてやらなくては ならないから。

その男の子ときたら まったく、教科書は全てカバンに入れっぱなしだから、忘れてくることはない。 

だが、ノートを用意していない。

おまけに、筆入れの中の鉛筆は全部 芯が折れていて、消しゴムも入っていた試しがない。

 

授業中、チチは小声でささやく。 

「黒板に書いてあることをちゃんと写さねえと、わからなくなっちまうだよ。」

「だって、オラ 腹減っちまって・・。」 「もう。 ちゃんと朝、食べてきただか?」 

「食ったけど、へった・・。」

後ろの席から、ヤムチャがからかう。 「なんだか、悟空の母ちゃんみたいだな。」

「母ちゃんかあ。」 

悟空が大きな声を出すから、先生に注意されてしまった。

 

みんなに注目されて、恥ずかしくて、頬が熱くなった。 

でも、何故だか チチは とっても、とっても 幸せな気分だった。

バーダック×セリパが ちょっと登場します。

この数カ月後がベジブルの『チビ』になります。