パンちゃんの唇が、首筋から離れた。

見上げれば 月は再び、厚い雲に覆われていた。

よかった。

あのままだったら、どうなっていたか わからない。

 

「さ、帰ろう、パンちゃん。」

声をかける。 なのに彼女は首を横に振り、動こうとしない。

「いや。 帰りたくない。」

「パンちゃん…。」

そんなこと、言わないでくれよ。 おれだって、できることなら 帰したくないよ。

だけど…。

その時。 携帯が鳴った。

おれのだ。 パンちゃんは まだ、持っていないらしい。

孫家からだと思った。 けど 違った。

『トランクス!? あんた 今、どこにいるの?』

うちから、母さんからだった。

 

それにしても、一応 山の中にいるっていうのに、回線は良好だ。

さすがはC.C.社製の最新機種…

なんてことを、考えてる場合じゃなかった。

『ビーデルちゃんから電話をもらったのよ。 心配してたわ。

 …パンちゃんと、一緒なの?』

うん、とだけ おれは答えた。

そうか、あの時 一緒にいた友達から聞いたんだ。

おれが、彼女を連れ去ったことを。

 

『ねえ。 うちに、一緒に帰ってきたら?』

「え?」

やけに明るい調子で、母さんは続ける。

『パンちゃんと、ってことよ。 今夜は うちに泊まってもらって、明日 迎えに来てもらうの。

 その方が いいんじゃない?』

そうよ そうよ、と ブラの声も聞こえてきた。

そうか、それも ありかもしれない。 その方が、案外円く おさまる気もする。

けど、 「いや やっぱり、今日のうちに ちゃんと送り届けるよ。」

明日、おれがいない時間に、迎えが来たら困るしね。

そう付け加えると、残念そうだったけれど、母さんは納得してくれた。

「ブラに、さっさと寝ろって 言っといて。」

最後にそう言って、おれは電話を切った。

 

「さあ、帰ろう。」

再び、声をかける。 今度は ちゃんと歩きだした。

浴衣姿の彼女を抱えて、少しの間 飛んだ後、広い道路に降り立った。

カプセルから車を出す。

「トランクス。」

「ん? なんだい。」

「運転、できるの?」

「… パンちゃーん、見くびらないでくれよ。 

ここ何年かは 通勤も移動も、ほとんど自分で運転してるんだよ。」

母さんの代から勤めてくれていたドライバーが定年で辞めてからは、ずっと そうしている。

やっぱり、人に頼むと いろいろ気を使うからね。

「パンちゃんを乗せて走ったことだってあったよ。 あれは、確か…」

まだ、小学生になる前だったのかな。

「思い出した! そうね、ブラちゃんと一緒に乗せてもらったんだわ。 楽しかったな。」

そう言うと、彼女は やっと笑顔になった。

 

助手席のドアを開けてやりながら、浴衣姿を改めて見た。

「うん、やっぱり よく似合うよ。 今度は もっと、明るい所で見たいな。」

そして この車で、いろんな所に出かけるんだ。

もちろん、二人だけで。

今日のところは無理だろう。

でも、少し時間がかかるとしても、彼女との仲を認めてもらう。

何としてでも。

決意も新たに、おれは車を走らせた。

 

孫家。

近づいてくる気で わかったのだろうか。 悟飯さんとビーデルさんが、家の前で待っていた。

 

いつもと、まるで変わらない様子で 悟飯さんは言う。

「送ってくれて ありがとう、トランクス。 遠いところを悪かったね。」

「いえ…。」

そして娘であるパンに、パンだけに向かって こう続ける。「早く家に入りなさい。」

「パパ、わたし、」

「夏休みだからって、夜遊びは いけないよ。」

穏やかな、だけど きっぱりとした口調。 有無を言わせないような…。

「行きなよ。」

おれが そう ささやいた後、こちらを振り向きながらも彼女は、玄関の方へと 歩いて行った。

 

その姿を見つめながら、おれは言った。

「今日、遅くなってしまったことは お詫びします。 でも、おれはパンちゃんのことが好きです。

 どうか、二人だけで会うことを許してください。」

「トランクス…。」

彼女の、うれしそうな声に後押しされて おれは続けた。

「もちろん、きちんと わきまえるつもりです。 

試験前は遠慮するし、こんなに遅くなったりもしません。」

しばしののち、悟飯さんは口を開いた。

「パンのことが好き… それは 女性として、ってことかい?」

「そうです。」

「いつから?」

「5年前、一緒に宇宙を旅した時からです。」

「きっかけは? 何か、あるのかな。」

「…。」

答えに詰まってしまった。

 

ビーデルさんが、何かを訴えようとした彼女の、肩を抱くようにして 家に入った。

「明日… もう、今日か。 君は仕事なんだろう。 もう、帰った方がいいよ。」

おれに向かって そう言うと、悟飯さんは扉を閉めた。

けれど間もなく、また開いた。

出てきたのは ビーデルさんだった。 こちらの方へ、駆け寄ってくる。

「ごめんなさいね、送ってもらったっていうのに。」

「いいんです。 もとはと言えば、おれが連れだしたんですから。」

「あのね、トランクスくん。 男親っていうのは大抵、女の顔になった自分の娘を見るのを嫌がるの。

 わたしのパパも そうだったし。」

そうだな。 それは、よく わかる。

「パンは子供っぽいタイプだったから、特に、なのかもね。 それに、」

独り言のような言葉の後で、ビーデルさんは こう続けた。

「悟飯くんって、高校までは ほとんど、大人に囲まれて暮らしてたでしょ。

 だから、戸惑ってるのも あると思うの。 10代の女の子の成長の速さに。」

 

ビーデルさんって今でも、悟飯くんって呼んでるんだ。

いや、そんなことじゃなくって!

「何だか… 悟飯さんって幸せですね。 ビーデルさんが奥さんで。」

「まっ、何言ってるのよ。」

昔通りの ふくれっ面をした後でビーデルさん、おれの大好きな女の子のママは、言ってくれた。

「あなたたちだって、そうなるんでしょ?」

そして付け加えた。 そうです、と 返事をする前に。

「でも もう少し、待ってやってね。 あの子はね、 もう子供じゃないけど、大人でもないのよ。」

 

自宅に戻る車の中で、おれは考えている。

サイヤ人の女の子が男を知るのは、いったい何歳頃なんだろうか。

車の窓からは見えない。

けれども 多分 雲は流れて、円い月が、夜空に顔を出しているのだろう。

数時間前と同じように…。

「あっ。」

思い出した。 車のミラーで、首に刻まれた痕を 確かめてみる。

「あーあ、すごいな。」

これで、悟飯さんたちの前に出ちゃったのか。

「殺されなかっただけで上出来だったのかな。 今日のところは。」

 

家に着くと、起きていたらしい母さんが迎えてくれた。

「おかえり。」

いつもと何ら変わらない、あっさりとした口調で。

「… それだけ? 何も言わないの?」

「パンちゃんとのこと? 何か言ってほしい?」

「…。」

「いいんじゃないの、お互いに好きなら。」

そして、こう付け加えた。

「って、わたしも両親に言われたわ。 かれこれ、30年近くも前ね。」

そうか、そうなんだね。 だから おれは生まれてきたんだ。

でも、「おれじゃなくて ブラだったらどう? 同じように言える?」

少しの間 考えて、母さんは答えた。

「うーん、相手が どんな人かによるわね。 ねえ、それよりさ、」

おれの首筋を見つめて続ける。 

「ちょっと すごいわね、それ。」

「わかってる。 暑苦しいけど、ハイネックの服でも合わせることにするよ。」

そんな答えを返した、その時。

「バンダナを巻けば いいじゃない?5年前みたいに。」

 

「ブラ! まだ起きてたのか。」

「目が覚めちゃったのよ。 あーあ、」

口をとがらせながら、ブラは ぼやく。

「あの、宇宙船の出発の時。 パパとなんかしゃべってないで、パンちゃんと いればよかった。」

「だったら どうしたっていうんだよ。 まさか…」

「もちろん私も、一緒に乗り込んだわ。」

「冗談じゃないよ。 だいたい おまえは戦えないだろ。 何の役にも たたないよ。」

「あら。 それは、ナメック星ってとこに行った時のママだって、同じだったでしょう。」

 

もっとも あの場に 私がいたら、すぐには発進させなかったわ。

パンちゃんと二人して うまく隠れて、悟空さんと お兄ちゃん、

そして悟天が乗り込んだのを ちゃんと確かめてから出て行った。

 

「… わかったから、さっさと寝ろよ。」

話を終わらせるべく そう言うと、ブラの奴、部屋を出る前に こんな捨て台詞を吐いた。

「宇宙っていうのは、人の運命を変えるのよ。 パパとママを見てたって わかるでしょう?」

 

 

お昼ごはんを終えて すぐの頃、学校の友達が家に来てくれた。

昨夜は、わたしを含めた6人で 花火大会に出かけた。

家に来たのは そのうちの二人、男の子と女の子で、今のクラスでは一番仲良しだ。

男の子の方からは 去年、好きだと言われた。

そして 女の子の方は どうも、この男の子のことが好きらしい。

でも そんなこと、今はいい。 どちらも いい子で、大切な友達だ。

 

女の子の方が、口を開いた。

「昨夜は ごめんね。 パンちゃんのママから、うちに電話がかかってきて…」

わたしがトランクスと一緒に、いなくなったと言ってしまった。

告げ口の形になったことを、気にしているのだ。

「どうしようって迷ったんだけど… 

パンちゃんから何の連絡も無いって言ってたから、おおごとになっちゃったら まずいと思って。」

「いいのよ。 ほんとのことなんだし、叱られたってわけじゃないし。」

そう。 遅くなったこと以外は、特に叱られてはいない。

だけど…。

「ねえ、昨日の男の人、C.C.社の社長なんだろ。 もしかして、恋人なの?」

男の子から、はっきりとした口調で尋ねられた。

わたしが深く うなずくと、二人は 先を争うようにして質問してきた。

「すごいね、あんな大人の男の人と。 いったい どこで知り合ったの?」

でも だいたい、そんな意味のことを。

「昔からの知り合いなの。 家族ぐるみのお付き合いよ。 そして わたしは、」

ずーっと昔、多分、物心がつく前から…

 

その時。  わたしたちがいる部屋に、おばあちゃんが やってきた。

友達に向かって言う。

「すまねえけど、今日は帰ってくれるか? おやつは包んでおいただ。

 また明日にでも、ゆっくり遊びに来るといいだよ。」

「えーっ、来てくれたばかりなのに…。 いったい どうしたの、おばあちゃん。」

「今から一緒に、西の都に行くだよ。 買い物と、大事な用があるだ。 

ジェットフライヤーの操縦は、悟飯に頼むとするか。」

今日、ママは用事でいないけど、パパはお休みで家にいるのだ。

でも ずっと、書斎に籠っているけれど。

 

空の上。

操縦桿を握りながら、パパは おばあちゃんに尋ねる。

「わざわざ 都で買い物って、何を買うんですか?」

「ん? 食材だ。 うんと 珍しい、うめえもんをな。 で、その後はC.C.で宴会だ。

 思いっきり、にぎやかにな。」

「お母さん!」

「あー、何年ぶりだべ。 さっき電話で話したら、ブルマさも そりゃあ喜んでただよ。

 そうだ、ビーデルさにも伝えておいただ。 用事が済んだら、C.C. の方に行くようにってな。」

わたしとパパは ほぼ同時に、感心しながら口を開いた。

「おばあちゃんったら…。」

「周到だね。」

 

その後、おばあちゃんは こんな提案をした。

「おらたちが料理してる間、悟飯は暇で つまらねえだな。

 ベジータの修行の相手になってやったら どうだ?」

「重力室でですか? いやあ… ちょっと自信ないなあ。

 買い物が済んだら、僕はビーデルを迎えに行ってきますよ。」

そして、パパは こう続けた。

「重力室は、トランクスが帰ってきてから借りることにします。」

「パパ…?」

「修行だよ。 仕事が忙しくて 体がなまってる者同士、ちょうどいいだろ。」

それを聞いて、おばあちゃんは言った。

「んだ、それがいい。 それが うちと、C.C.らしい やり方だ。

 悟空さも きっと、そうしろって言っただよ。」

その一言で わたしは、まぶたの裏が熱くなった。

 

でも、泣かない。 この5年の間、わたしは ほとんど泣いていない。

トランクスに、思うように会えなかった日々。

だって泣いたら、まるで 誰かが悪者のようになる。

そして 後悔したくなってしまう…。

 

久しぶりのC.C.

実は ずーっと、知りたいことがあった。

でも さすがに、口に出して尋ねることはできなかった。

もっとも、唯一の生存者であるベジータさんだって、まだ子供だった頃に故郷を失った。

だから おそらく、今は 誰も知らないのだ。

それは…

「サイヤ人の女の子が男を知るのは、いったい何歳頃なんですか。」

ふと見れば、昼下がりの空に、白い月が ぽっかりと浮かんでいた。

cynical moon

真夏の夜の夢』の続きです。

もっと こじらせてみたい気持ちもチョットあるんですが、

もともと親しい家同士なのでね…。

こういうことを経て、結局は うまくいくのでしょう。 どんなパターンの話でも。]