『人魚の涙』

ベジブルの『』、『故郷』 トラパンの『初めての恋、最後の恋』の

 続きで、人魚パラレルの最終話です。 ベジブルが多めに含まれています。]

その夜は眠れなかった。

トランクスは今日、何度も好きだと言ってくれた。 

そして、キスもした。 ちょうど、同じくらいの回数だ。

だけど初めての時のように、すぐに離れたりはしなかった。 

長くて、とても深いキス。  でも、それだけじゃない。 

トランクスは 唇以外の いろんなところに、自分のそれを押し当てた。

首筋に、髪をかきあげた生え際に、それに、ここにも …。

わたしは両腕で、自分の胸を抱きしめた。

 

寝床を、家を抜け出して、占いババの住処を訪ねた。 

愛想の良い声に促されて、中に入る。

部屋の真ん中には水晶玉が鎮座し、壁の棚には、薬瓶が ずらりと並んでいた。

しわくちゃの小さな手が、そのうちの一つを取り出す。 

「陸の女になれる薬じゃよ。 お嬢ちゃん、おまえさんの欲しいもんは これじゃろ?」

「そうよ…。 どうしたら くれるの?」

問いかけに、すぐに答えを返すことなく、代わりに こう言う。

「これには重い副作用があってのう。 ちゃんと歩けなくなるんじゃ。

一歩踏み出すごとに、刃物で切られるような痛みを味わうことになる。」

…。」 

「それに、ただでは やれん。 おまえさんの、大事なものと引き換えじゃ。 

たとえば その、可愛らしい声とか。」

「そんな! ひどいわ!」

 

わたしが怒りの声を上げると、占いババは笑い、どこか なつかしそうに目を細めた。

「かつて、それでもいいと言い切った女がおったのう。」

「ブルマ姫のことね…。」 

「そうじゃ。 あの娘に比べると、おまえさんは まだ子供じゃな。」

「! わたし、もう15よ。 子供じゃないわ!」

「年のことだけじゃない。 あの娘はな、惚れた男が孤独だったことに 気付いていたんじゃ。

自分が そばにいてやらねば、と思ったんじゃろう。」

「どうして、そんなことまで わかるの。」 

小声でつぶやいたつもりだったのに、しっかりと聞かれていた。

「そりゃあ、わしの本職は占い師じゃからな。 薬作りは言わば、副業じゃ。」

ふと 目をやると、水晶玉が さっきとは違う輝きを放っていた。

 

「もう少し、考えてからにおし。」 

そう言われ、追い立てられる。 

なんとなく悔しかった。 けど、仕方なく引き下がった。

 

帰り道、わたしは ひとりごちる。 

「孤独、か。 ひとりぼっちってことよね。」

一国の王様の一人息子だというのに、トランクスは 王子様とは呼ばれていないらしい。 

人魚だったブルマ姫は、王妃にはなれないためだ。

「でも、ひとりぼっちではないわ。 両親と妹がいて、とっても仲良しみたいだもの。」

結局、わたしには 覚悟が足りないということだろうか。

 

次の日から三日間、約束どおり トランクスは来てくれた。

でも これも 言っていたとおり、少しの間しか いてくれなかった。

そして四日目。 また、時間になっても姿を見せない。

待ちきれなくて、海面に顔を出す。 

日が高いというのに、泳いで、どんどん陸に近付いていく。 

どちらかというと臆病なわたしは、こんな所まで来たことはなかった。

少し、イライラしていたのかもしれない。

トランクスが住んでいる所は どの辺りだろう。 

岩に腰掛けて 身を乗り出した、その時。

 

「キャッ!!」

一瞬、何が起きたか わからなかった。 

気付いた時には まるで霞のように目の細かい網に捕らえられていた。

「これは これは、人魚じゃないですか。 それも雌! 珍しい獲物が かかりましたね。」

陸の人間、 男だ。 小さいし、声も甲高い。 

けれど、子供ではないようだ。 何人もの手下を 引き連れている。

「イヤあっ、お願い、ここから出して!!」

暴れたけれど、無駄だった。 

一見 薄っぺらく見える網は ますます、絡みつき、食いこんで、身動きが まったくとれなくなる。

 

「ほう、言葉も話せるとは。 なかなか可愛らしいし、素晴らしい お土産になりそうですね。」

男が、顔を近づけてくる。 怖い。 

特に 目が、鋭いだけじゃなく、とにかく怖いのだ。

小さな頃から ずっと 言い聞かせられてきた言葉が、頭をよぎる。

陸の人間に捕らえられたら最後、すぐに殺されるか、ひどい辱めを受ける。 

女の人魚ならば 尚更だ…

「イヤあーーっ!!」

 

わたしの悲鳴と ほぼ同時に、聞き慣れた声が 耳に届いた。 

「パンを はなせ!!」

「トランクス!!」  

来てくれた。 わたしを助けに…。

怖い目をした男の手下が、剣を抜いて構える。 が、意外にも 男は、片手を上げて それを制した。

 

男に向かって、トランクスは言い放つ。

「今すぐ パンを はなせ! その子は、おれの…。 

それに ここは、我が国の領土だ。 よそ者が こんなことをして、許されると思っているのか!」

それを聞いた男は おかしそうに笑いだした。

「我が国ねえ。 トランクスさん、あなたこそ そんなことを言う権限があるんですか。

王の息子とはいえ、あなたは庶子。 隣国の王子である私に、命令なんて許されませんよ。」

トランクスの、表情が変わった。 腰に携えている剣に、手をかける。

そのことに気付いていながら、男は さらに こう続けた。

「そうですとも、あなたは庶子、王子ではない。 

母親ときたら 姿が良いだけで、口もきけず まともに歩くことさえできない、

どこの馬の骨とも知れない女だ。」

黙れーーー!!」

 

剣を抜き、切りかかっていくトランクス。  

速い。 あっという間に、手下の何人かが、血を流して倒れた。

その中には、一番 体の大きかった、強そうだった者もいた。

どうしよう、 大変なことになる。

けれど 不思議なことに、怖い目をした例の男は こう告げたのだ。

「わかりました、今日のところは引き下がりましょう。 その人魚も あきらめます。」

「…!?」  

手下たちも、不満と疑問の声を上げる。 それに構うことなく、男は本当に、この場を去ろうとする。

ただし、こんな一言を残して。 

「その代わり、報いは たっぷりと受けてもらいますよ。 うんと、後悔するがいい。」

 

そう大きくはない、けれども凝った造りの船に乗り込み、男たちは去って行った。

それを見送る形で、少しの間 トランクスは黙っていた。 

怖い顔。 今まで、一度も見たことのない…。

けれども、わたしの方に向き直った時には、いつもの彼に戻っていた。

 

「大丈夫かい、パン。 今、出してあげるからね。」  

わたしの肌を傷つけぬよう、注意深く 網を破る。

「さっきのあいつはフリーザっていって、隣の国の王子なんだ。 

大王はピンピンしてるし 兄貴の方が後を継ぐから、子分どもと遊びまわって、

悪さのし放題なんだよ。」

そう言って、自由になった わたしの体を抱きしめる。 

「怖かったろ?」  何度も聞いてくれる。

うん、と短く答えたけれど、それ以上は言わなかった。

すごく怖かったし、今でも怖い。 

でも それは、わたしだけのことじゃない。

何か、ものすごく 良くないことが起こりそうな気がして、とても怖いのだ。

 

わたしの胸に、顔を埋めるようにしながら トランクスは言う。

「無事で よかった。 間に合って よかった…。 

昔ね、似たことがあったんだ。 

父さんの留守を狙って ヘンな奴らがやってきて、母さんが連れて行かれたんだ。」

最後の方は、消え入るような声になった。

「でも、大丈夫だったんでしょ? ちゃんと、戻ってきたんでしょ?」

「… 父さんが助け出したよ。 帰ってきたのは、二〜三日後だったかな。」

トランクスは、何故か うん とは答えなかった。

 

今日も、胸には 何もつけていない。 

だけど もう、そんなことは構わない。 両腕で、彼の頭を抱きしめる。 

トランクスの髪の毛は、夜明けの海の色に似ている。 

指を通すと、小気味良いほどに さらさらと すり抜けていく。

その感触は この間、海の中で同じことをした時とは 少し違っていた。

 

トランクス、 わたし やっぱり

今頃、占いババの家にあった水晶玉には、わたしの心が映っているだろうか。

 

その数日後から また、トランクスは来なくなってしまった。

でも それまでのように、やきもきしたりはしない。 

情報通の仲間から、大変なことを聞かされたためだ。

今、陸では戦争が起きている。 こうしている間にも町が荒らされ、人が大勢 死んでいるという。

わたしを捕らえようとした あの男が、残していった言葉を思い出す。

『うんと、後悔するがいい。』 

わたしのせいなの? だから、トランクスは 来られないの?  

どうしよう、一体 どうしたら いいの?

何度も様子を見に行きかけて、そのたびに やめる。

祈ることしか、わたしにはできない。

お願い、どうか無事でいて。 一日でも早く、元気な姿を見せてほしいの。

 

その願いは叶った。 

十日余りが過ぎた ある日、トランクスは ようやく、わたしに会いに来てくれた。

幸い、ケガはしていない。 

けれども、それほど久しぶりではないというのに、彼は ひどく やつれていた。

「ごめんなさい、トランクス。 こんなことになったのは、あの男を怒らせたせいなんでしょう? 

あの時 わたしが、捕まったりしなければ…。」

「違うよ。」  きっぱりと否定する。 

「パンのせいじゃないんだ。 どうして こうなったかっていうとね…

眉を寄せて、うつむく。 つらい話なのだろうか。

「ブラが、妹が いなくなった。 誘拐されたんだよ、隣の国の奴らに。」

 

「!!」  

なんてことだろう。 彼の妹は まだ、二つか三つだったはずだ。

「母さんの体の具合が悪かったから、召使いと一緒に散歩に出てたんだ。 その時に…。」

王である お父さんはもちろん、すぐに隣の国まで抗議をしに行き、国内を捜索させろと詰め寄った。

そこから火がついて、戦に発展してしまったそうだ。

「もともと、隣の国とは仲が悪かったんだ。 実は父さんも、正式な お妃の子供じゃなくてね。 

で、お妃っていうのは、隣の国から来た人だったわけ。」

「そんな…。」  

わたしから見れば、どちらも同じ 陸の人間だっていうのに。

 

静かな声で、トランクスは続ける。 

「おれの家族は、みんな いなくなっちゃったよ。」  

「? どういうこと?」 

「ひどいケガをしていたっていうのに、父さんは母さんを連れて どこかへ行ったらしいんだ。 

多分、もう…。 もちろん、できることなら 見つけてあげたいけど。」

言葉を切って続ける。 

「でもね、妹のブラは、元気で どこかにいるような気がするんだ。 何としてでも捜してやるつもりだよ。

 だから、 もう、」

ここには来れない。 少なくとも、しばらくの間は。

付け加えられた言葉に、わたしは黙って うなずいた。

 

でも! 「お願い。 最後に、もう一回だけ会いたいの。 もう一度 来て、今夜。」

「今夜? おれはいいけど、パンは そんな遅い時間に出てこれるのかい?」

「平気よ。 それと、潜らなくても いいわ。 この間の、岩場の辺りに来て。 

夜なら多分、誰もいないと思う。」

「わかった、必ず行く。 早めに行って、待ってるよ。」

そう言って、トランクスは戻って行った。

 

さあ、後ろ姿が見えなくなるまで 見送ったなら、その後は…

「そうだわ。 夜 トランクスに会ったら、やっぱり あの話をしよう。」

何日か前のこと。 仲間の一人が、ブルマ姫を見たと言っていたのだ。 

それも、海岸などではなくて、深い海の中でだ。

ブルマ姫は、人魚の姿に戻っていた。 

華奢な両腕で、黒い髪の男を しっかりと抱き、さらに深い方へと泳ぎ 進んでいったそうだ。

 

自分の目で見たことではないから、さっきは言わなかった。 

でも、話した方がいいだろう。 だって わたしは、声を失うことになるのだから…。

そう、 わたしは これから、占いババの所へ行く。 

今夜 トランクスに会ったら、彼の前で薬を飲みほし、陸の女の子になる。

不自由な体になる。 だけど、ついていく。 足手まといにならないよう 頑張る。 

彼を決して、ひとりぼっちにはしない。

占いババは きっと 笑って、薬を渡してくれるだろう。

 

 

数日前。 ブルマは床に伏せっていた。

二人目の子を産んで以来 体調がすぐれなかったのだが、ここへきて さらに悪いことが重なった。

遅くにできた幼い娘が、何者かに連れ去られた。

おそらく 隣国の者の仕業だということで、夫は厳重に抗議をした。

そこから、さらなる災いが広がったのだ。

 

扉が開く。 ブルマは驚き、目を見張った。

ベジータ! ]  

口を利くことが出来たなら、大声で叫んでいただろう。

戻ってきた彼女の夫は、顔も 衣服も、とにかく どこもかしこも血まみれだった。

妻の言いたいことを、彼は ちゃんと理解している。 

「心配するな。 この血は俺だけのものじゃない。 半分は、あいつらの血だ。」

いかにも おかしそうに、笑いながら ひとりごちる。 

「ざまあみろ…。 フリーザ一家め、長年の恨みをはらしてやった。」

 

そして彼は、手当てをしようと起き上がった妻を、問答無用で抱え上げた。

ちょっと!? どこへ行くの?

せっかちなところのある彼は、一緒にいる時は 妻を歩かせなかった。 だから、今も そうする。

歩きだす。 そのまま、外へ出ていく。

どこへ行くのよ、そんな体で! … 下ろして、自分で歩けるったら!]

訴えを無視し、傷ついた体で 彼は歩き続ける。

 

着いたのは、海岸だった。 

体中 傷だらけであるにも かかわらず、妻を抱えたまま、海に入っていく。

胸の深さまで来た時、彼は ようやく口を開いた。

腕の中の妻に向かって、短い一言を告げる。 

「愛してる。」

「…!!」  

それは、彼女にとっての呪文だった。

 

十秒ほどが過ぎたのち、彼女、ブルマは人魚の姿に戻った。

「どうして? どうして今さら こんなこと、」 

それに対し、彼、ベジータは こう答えた。

「久しぶりに、おまえの声を聞きたいと思ってな。」

声…。 夫の言いたいことを、ブルマは理解する。

「わたしも愛してる。 わたし 幸せよ、ベジータ。」

瞼を閉じて、海の中に崩れ落ちたベジータ。 

妻による愛の言葉が、聞こえていたかは わからない。

けれども その口元には、満足げな笑みが浮かんでいた。

 

わかっていた。 以前から気づいていたけれど、今日はっきりと わかった。 

彼が妻を正式な王妃にせず、息子も非嫡子にしていた理由。 

それは王族という枷にとらわれることなく 自由に生きられるようにと願ったためだった。

 

人魚に戻ったブルマは 夫の亡骸を抱え、久しぶりに海に潜った。

潮の匂いに包まれる。 それは、涙の味に よく似ている。

彼女たちが どこへ向かったのか、知る者は誰もいない。

 

 

それから、ひと月ほどが過ぎた。

海の底に建つ城から、そこの女主人である王妃が出てきた。 ある気配を感じたためだ。

「あら、 まあ、 まあ!」  

驚きのあまり 彼女は、常に微笑んでいるような目をぱっちりと見開いた。

なんと、まだ 二歳か三歳の女の子が、泳ぎながら こちらへと向かってくるではないか。

人魚の子供なら 別段 驚くこともない。 

だが その子供は、鱗も尾もない、陸の人間だったのだ。

もしかして、この子は… 

「お嬢ちゃん、 お名前は?」 

「ブラよ。」

「ブラちゃん、あなたのお母さんのお名前は? わかるかしら。」 

「うん。 ブルマっていうの。」

ああ、やはり そうだった。 

十数年前、愛した男を追って 海の暮らしを捨てた娘。 その二人目の子供だ。

 

「ママが病気だったから、お手伝いさんと一緒に お散歩してたの。 

そしたらね、ヘンなおじちゃんたちに連れて行かれたの。」

「…。」 

「でもね、あたし 小さいでしょ? ドアの隙間から、出てこれたのよ。」

はきはきとした口調で 説明を続ける孫娘。

「おうちに帰りたくって、歩いてた人に聞いたの。そしたら海から行くのが一番近いって。 

だから、飛び込んだのよ。」

 

その様子に感心していると、彼女の夫、ブルマの父親である 王もやってきた。

「陸は今回の戦で、大層 荒れてしまったそうだ。 この子は、ここで育てようじゃないか。」

「そうね、それがいいと思うわ。 

でも、尾も鱗もないんじゃ ずっと暮らすのは難しいんじゃないかしら…。」

「占いババに相談してみよう。 きっと、良い知恵を授けてくれるさ。」

そして、幼い孫娘に向かって こう言う。

「おまえは この海で、幸せになるんだよ。」

 

 

それから また、数か月が経った。

久しぶりに海に潜ったトランクスは驚いた。

ずっと捜し歩いていた妹を見つけたのだ。

不思議なことに 妹は、小さな人魚になっていた。

幼い彼女は 兄のことを、もう あまり覚えていないようだ。

それでも 手を振ると、うれしそうな笑顔を見せた。 

仲間たちに囲まれ、幸せそうだ。

 

その姿を見届けて、トランクスは陸へ戻った。

海岸ではパンが、帰りを待っていてくれる。