305.『余計なひとこと』
[ 040.『娘』の少し前のお話です。 ]
「あ、 ベジータ。」
呼びとめられて振り向きかけた夫の頬に、ブルマは素早くキスをする。
「・・用は何だ。」 「うふ、 忘れちゃった。」
何年一緒にいても、相変わらず無愛想な夫。
だからブルマは、今でも時々そんなことをしていた。
そのやりとりを幼い頃から目にしてきたブラは、母と二人になった部屋で、ぽつりとつぶやく。
「ああいう不意打ちって、パパが小柄だからできるのよね・・・。」
「それでわたしが、ブラの恋人は背が高いの?って聞いたら、
真っ赤になって慌てて出てっちゃったのよ。」
仕事から遅く帰宅し、軽めの夕食を摂るトランクスの向かいに座ってブルマは続ける。
「ちゃんと家に連れてくればいいのに。いったい、どんな人なのかしら。」
「どんな人って・・・。 家になんか、何度も来てるよ。」
スプーンを口に運びながら、トランクスはぼそりとつぶやく。
「えっ? 何か言った?」
「なんにも。 そのうちわかるだろ。 それより、 病院にはちゃんと行ってるの?」
ブルマは微妙に視線を逸らす。
「行ってるわよ。 ちゃんと。」
「先生は、なんて言ってる?」 「いつもと、同じよ・・・ 」
スプーンを置いて、トランクスは告げる。
「今度は、おれも一緒に行くからね。」
「・・いいわよ。 お休みがとれるんだったら、デートでもしなさいよ。」
もう食べないの、 との問いには答えず、ナプキンで口元を拭う。
「そんな相手、いないよ。」 「また別れちゃったの・・?」
ためいきをついて、ブルマはつぶやく。
「早く孫の顔が見たいのに。 もう、間に合わないじゃない。」
言ってしまってから、息子の顔を見る。
「なんて顔してるのよ・・・。」 「なんてこと言うんだよ。」
ブルマは笑顔をつくって席を立ち、座ったままのトランクスに近づく。
そして身をかがめて、左の頬にそっと唇を寄せる。
「あんたには、座ってる時じゃないと届かないわ。」
顔を逸らして席を立ったトランクスの表情。
それは、彼の父親に本当によく似ていた。
「ママ。」 「なあに? そう呼ぶの、久しぶりね。」
「今、父さんがドアの外でこっちを見てたよ。」
寝室のドアを開けようとしていた夫を見つけて、声をかける。
「ベジータ・・・。」 何も答えない。
「怒ってるの?」
「いい年をした親子が、気味が悪いと思ってるだけだ。」
「・・トランクスが、悩んでたからよ・・・。」
立ち止まっている夫の肩に手を添え、唇で頬に触れる。
「誤魔化しやがって・・・。」
そう言いながらも払いのけなかったベジータに、ブルマは安堵する。
だから、つい余計なことを言ってしまう。
「やっぱり、この背丈、ちょうどいいみたい。」
ベジータは、やや乱暴に妻の腕をつかんだ。
「反省の色が無いな、 おまえは・・・。」
よく似た表情を、ついさっきも目にしたとブルマは思った。
あんたって、怒ってても そうじゃなくても、おんなじね ・・・
今度は、さすがに口には出さない。
自分を抱きすくめている夫の耳元に、小さくささやく。
「ごめんね、 ベジータ。」 「謝るくらいなら、はじめから・・・ 」
「そうよね。 でも、 ごめんね。」
その言葉の理由を知らない彼は、
もういい、 と言ってやるかわりに自分の唇で妻の口をふさいだ。
その夜、 ブルマは何度もそうするように夫にせがんだ。
悲しい、 余計なひとことを、 決して口に出してしまわないように。