065.『煙草』

ずっと以前、お祭りに出させていただいた『誤算』をリメイクしたような内容です。]

ここはナメック星。 

サイヤ人の来襲によって命を落としたヤムチャたちを この星のドラゴンボールで生き返らせるべく、

はるばる やってきた。

だけど わたしたちは、本当に甘かった。 

ようやくたどり着いたナメック星。 そこには、例のサイヤ人と同じ格好をした宇宙人が、ぞろぞろいた。

奴らの狙いも、もちろん同じだ。 

あらゆる願いを叶えてくれて、死者をも蘇らせる力を持つドラゴンボール。

そんな お宝を、放っておくはずはなかったのだ。

 

そういうわけで、一緒に旅をしてきたクリリンくんと悟飯くんは、

隠れ家を出たり入ったりと ひどく慌ただしい。

自分の身を守ることのできない わたしは、とにかく ひたすら、隠れているしかない。

唯一の朗報は、ケガが完治した孫くんが、

わたしたちが乗ってきた物よりも さらに高性能の宇宙船で、こちらに向かってくれていることだ。

 

その事実が わたしの、張りつめていた緊張を 解きほぐした。

じっと息をひそめていることに、いい加減うんざりしていた わたしは、

カプセルからバイクを出して またがった。

危険なのは わかっている。 でも、ちょっと そこまで、ほんの少し。 

外の新鮮な空気が吸いたい。 そして 煙草も、外で吸いたい。

だって やっと宇宙船を降りられたと思ったら、

暗い洞窟の中に無理やり建てた隠れ家、窮屈なカプセルハウス暮らしだ。

いったい何のために来たのか わからないし、ストレスはたまる一方だった。

 

前方に、湖が見える。 ちょうどいい。そこで一休みして、戻ることにしよう。

バイクから降りる。 

湖面を見つめながら わたしは、16歳の頃の ドラゴンボール探しの旅のことを思い出していた。

思えば あの冒険の旅の途中で、孫くんやヤムチャと知り合ったのだ。

あれから もう10年余りの歳月が流れ、いろいろなことが変わってしまった。

さまざまな人との出会いによって、孫くんは とてつもなく強くなった。 

素晴らしいことだ。

けれども それに伴って、向かってくる敵も、凶悪さを増しているように思える。

そして… 

孫くんの強さを目標に、周りのみんなも より一層、厳しい修行を自分に課すようになった。

 

ヤムチャも、その一人だ。

わたしを都に残したままで、

誕生日やクリスマスといったイベントも、まるっきり忘れてしまったみたいに。

たまに会った時には当然、そのことを訴える。 

するとヤムチャときたら、こんなふうに答えるのだ。

『おれなんて どうせ、たいしたプレゼントは贈れないよ。』

『おれがいなくたって、ブルマには楽しいことが いっぱいあるだろ?』 

そうね、確かに そうかもしれない。  でも そんなこと、口に出してほしくなかった。

 

ざわざわした気分を打ち消すべく、懐を探って、ケースから煙草を取り出す。

火をつけて、お気に入りの味と香りを吸いこんで、肺に入れたら ゆっくりと吐き出す。

美容にも、健康にも 良くないことはわかっているけど。

 

長い付き合いで、いまや 旧い友人でもあるヤムチャ。 

無事に生き返って、元気な姿で戻ってきてほしいのは本当だ。

だけど いつもの暮らしに戻れば また、同じことを繰り返すのだろうか。

手の中に収まっている、ライターを見つめる。 

華奢な、女性らしいデザインのこれは、実はヤムチャから贈られた。

ずっと以前 一緒に出かけた時、いいなと思って見ていた物を、何日か後にプレゼントしてくれた。

あの時は うれしかった。 

あの日はクリスマスでも、わたしの誕生日でもなかったのに。

 

湖に向かって、まだ火が消えていない煙草を投げる。

普段は こんな、マナーの悪いことはしないのだけど…  

「!!」 

ばちが当たったのだろうか。 静かだった水面が大きく揺れ、人間が、男が顔を出した。

ものすごい形相だ。 

そう、投げ捨てた煙草はなんと、その男の顔に、特徴ある額に 当たってしまったのだ。

男の名は… 「ベジータ!」

何というタイミング。 恐ろしさのあまり わたしは、腰を抜かしそうになった。

 

あっという間に、彼は岸に這い上がってきた。 

その鋭い目で わたしのことを 上から下までジロリと睨むと、こんなふうに ひとりごちた。

「ナメック星人じゃないな。 地球人… 女か。 ドドリアの奴が言っていたことは本当だったのか。」

まるで少年のように、よく通る声。 

それに背が… わたしと同じくらいか、いくらか低いくらいだ。

水の中から出てきた彼はずぶぬれで、しかも ひどいケガをしている。

悟飯くんたちと戦ったせいではない、わよね? 

誰に? もしかしたら、仲間割れをしているの?

 

そんなことを考えていたら…  「おい。」 

「は、はいっ。」 

「食い物をよこせ。」

ああー、お菓子でも持ってきていれば! その隙に、逃げられたかもしれないのに…。

「ご、ごめんなさい。 今、持ってないのよ。」 

「嘘をつくな。 さっき、何かを口に入れていただろうが。」

あ、あれは… 

「あれは食べ物じゃないわ。 煙草よ。」 

「タバコ?」

「そう。 火をつけて、風味のついた煙を吸うの。 おもに気分を、落ち着かせるために。」

「… よこせ。」

仕方なしに わたしは、ケースの中の一本を 彼に手渡した。

 

でも、ライターで 火をつけてあげようとしても、

「つかないわ。 同時に、吸いこむようにしなきゃダメなんだけど。」

仕方がない。 わたしの口で一度吸った物を、手渡すことにする。 

今度は、大丈夫だろうか。

「あ、あのね! 最初は深く吸わないで、まめに煙を吐き出した方がいいわ。 でないと、」 

「! !!」   

ああ、やっぱり。 彼は激しく咳き込み始めた。

 

その間に、逃げればよかったのだ。 

なのに わたしは、彼に触れている。 

理由は背中を、さすってあげようと思ったためだ。 

わたしたちと同じ色の血が、手のひらに付く… 

「おい。」  

吸いかけの煙草を、やはり湖に投げ捨てた彼は こう続けた。

「隠れ家に案内しろ。 そこで傷の手当てをして、何か食わせろ。 

そうすれば、殺さないでいておいてやる。 今のところはな。」

孫くんは まだ着かない。 わたしに、選択肢は無かった。

 

バイクの代わりに小型車を出し、わたしたちは例のカプセルハウスに向かった。

もしかしたらと思ったけれど、悟飯くんもクリリンくんも、まだ戻っていなかった。

なすすべの無いわたしは 慣れない手つきで、ケガの手当てと食事の用意をおこなった。

やっぱり、と言うべきだろうか。 彼の食べっぷりは凄まじかった。

空腹だったというよりは、消耗した体力を 急いで戻すためなのかもしれないけど。

でも、ちゃんと、フォークを使って食べている。

 

用意した 二十個近いランチパックの容器が空になりかけた時、わたしは口を開いた。 

沈黙が、怖かったのだ。 

「それ、そんなに まずくはないでしょ?」

実はわたしが味付けをしたのだけど、クリリンくんなどは おいしくない、とはっきりと口に出した。

「調理済みの物もたくさん あったんだけど、食べ尽くしちゃって。 特に、悟飯くんの食欲がすごいの。」

「…。」  

しばしの沈黙。 その後で彼は、意外な質問をしてきた。 

「貴様が、あのガキの母親なのか?」

「えっ!? 違うわよ。 孫くんには ちゃんと、奥さんがいるわ。」

ふん、と興味なさげに鼻を鳴らしたのち、彼は命じる。 

「さっきの、あれをよこせ。」

「? あ、煙草のこと?」 

「さっさとよこせ。」 

 

ケースから、また一本取り出す。 今度は最初から、火をつけて手渡した。

彼は もう、心得たようだ。 さっきの、外での様子とは全然違う。 

優雅とも思える所作で、煙を吐き出す…。

けれども。 

なんと彼は 吸いかけの煙草をそのままテーブルの上に、

まるで投げるように ポイと置いたではないでいか。

「ダメよ、そんなことしちゃ!」  

灰皿の存在を無視して彼は、グラスに残っていた水を、煙草の上にかけた。

それはいい。 

けど、次の瞬間。 彼によって わたしは、堅い床の上に組み敷かれた。

 

「何するの…。」 

「決まっているだろう。」 

傷だらけの顔。 彼の薄い唇が、皮肉に歪んだ。

「母親でもない女が のこのこ、 こんな所まで付いてくる。 つまり貴様は、そういう役目なんだろう?」

その言葉に わたしはカッとなった。

「違うわ!! こう見えても わたしは科学者よ。 宇宙船を改造して、操縦だって この わたしが、」

「フン。 あんな原始的な治療しかできない星の人間が、何を言ってやがる。」

そういえば さっき、手当てをしている間じゅう、彼は何度も、聞えよがしに舌打ちをした。 

ひどく苛立たしげな様子で。

 

けれども彼は起き上がり、押さえこんでいた手を離した。 

「?」  解放される。

でも、ほっとしたのは 一瞬だった。 あろうことか、彼はこんな命令をする。 

「脱げ。」

「え…?」  耳を疑う。 

「聞こえなかったか。 脱げ、と言ったんだ。」

着ている物を、自分で脱げ。 彼はそう繰り返した。

 

 

一時間、 二時間、 ううん、もう少し…  

いったい、どのくらいの時間が経ったのだろう。

ドアが開く音が聞こえてきた。  

「!! ブルマさん!!」  

悟飯くんだ。 やっと 帰ってきたのだ。

「どうしたんですか、その格好!」  

クリリンくんは、一緒ではない。 まだ、よかったかもしれない。

「何でもないのよ。」 

「でも…! 誰か来たんですか? まさか、」

「何でもないの。 退屈だから、うんと長い時間 お風呂に入って、それで のぼせちゃったのよ。」

 

我ながら、ひどい言い訳だ。 いくら 素直な悟飯くんだって、信じてなんかいないと思う。

でも とても賢い子だから、騒ぎ立てたりはしない。 

「…じゃあ、のどが渇いてるんじゃないですか? お水、もってきましょうか?」

「それより、煙草がいいな。」  

床に落ちていたケースを、拾い上げる。 残り少ない一本を取り出す。

「灰皿と、 ごめんね、あと、火も いいかしら。」 

「はい。 えーと、こうかな?」  

小さな手でライターを持ち、火をつけてくれた。 

その後、悟飯くんは わたしに尋ねた。 父親である孫くんに、とても よく似た表情で。 

「おいしいんですか? それ。」 

「… まあね。 気分が、落ち着くのよ。」 

「ふーん、僕なら、 食べ物の方がいいけどなあ。」

部屋には まだ、彼が食べ終えたランチパックの容器が 山積みになっていた。

 

そのことには直接触れずに、悟飯くんは言う。 

「もうちょっとでお父さんがきてくれます。 そしたら 悪者なんか一人残らず、やっつけてくれます。

そして ヤムチャさんたちもみんな、ちゃんと生き返ることができますよ!」

どちらも、今の わたしには考えたくないことだった。

 

生き返ったヤムチャが もし、このことを知ってしまったら。 きっと こう言う。

『仕方ないよ、事故みたいなもんだ。 逆らったら、殺されちまってたんだから…。』

ヤムチャは決して、わたしを責めないだろう。

だけど あの時 わたしが、言われるままに 服を脱いだのは、拒否や抵抗をしなかったのは、

恐怖のためだけではなかった気がする。

心の どこかで わたしは彼の、手に、唇に、触れられたいと思っていた。 

一本の煙草のように…。

 

事の後、唇を、体を離した後で、彼は言った。 

『貴様、名前は何というんだ。』

『…。』  

すぐには、答えなかった。 悔しさと、湧き上がってくる さまざまな感情のために。

彼が出ていく、直前に言った。 

『ブルマ。』

『ふん、おかしな名前だ。』   

ドアが閉まる音が耳に届くまで、少し あった気がする。

 

ああ、もう一本だけ煙草が吸いたい。 

でも あのライターは もう使えない。

彼、ベジータと、再び向き合うことはあるだろうか。 

彼が わたしの、名前を呼ぶことはあるだろうか。

今のわたしときたら そんなことばかりを、考えているから。