086.『息子』
[023.『妹が生まれる』と、併せてお読みいただけたらうれしいです。]
夜。 消灯の過ぎた頃。
病院の特別室のベランダに、一人の少年が降り立った。
「トランクス・・・。どうしたの、こんな時間に。」
少し驚いて、ブルマが尋ねる。
その腕には、数日前に生まれたばかりの赤ん坊・・・
彼の妹が抱かれている。
「明日はもう退院して、家に帰るのに。」
「だって、おれは学校だからさ。」
母によく似た、小さな妹。
身をかがめて、自分と同じ色の瞳を覗き込む。
ベビー服に空けた穴からは、茶色のしっぽが伸びて揺れている。
「さっき、おじいちゃんのお見舞いに行ってきたよ。」
トランクスの祖父、ブルマの父であるブリーフ博士は
妻を亡くして以来、体調を崩していた。
「ママを、手伝ってあげなさいって。
おばあちゃんが亡くなって、大変だろうからって。」
そうね、 と小さくつぶやいてブルマは続ける。
「あんたのことは、母さん・・・
おばあちゃんにずいぶん助けてもらったわ。」
でもね、 これからはきっと・・・
何故かちらりとバスルームの方を見ながら付け加えた。
「ブラって名前、おばあちゃんが考えたんだよね。」
「そう・・・。 最期の時、一生懸命何か言おうとしてるから
何?って耳をすませたらね・・・ 」
『ブルマさん・・・ 赤ちゃんのお名前、 ブラちゃんってどうかしら・・・ 』
ブルマは、娘を抱いたままうつむいた。
「ねぇ、抱っこしてみていい?」
「いいわよ。 首のところ、気を付けてね・・・。」
兄になったばかりの彼は、生まれたばかりの妹を
おそるおそる、だがしっかりと抱きかかえる。
「ママにそっくりだね・・・。」
「あんたの赤ちゃんの頃にも、似てるわよ。」
トランクスも、バスルームの方を見る。
それは数日前、この子が生まれた日にも言われた言葉。
「おれ、いいお兄ちゃんになれるかな。」
「もちろんよ。」 ブルマはにっこりと笑う。
「でもね、ゆっくりでいいのよ。
あせらず、時間をかけて家族になっていけばいいの・・・。」
「さ、明日早いんだから、もう帰りなさい。 気をつけるのよ。」
母に見送られて、トランクスは飛び立つ。
「おやすみ。 明日ね。」
息子の気が十分に遠ざかってからようやく、ベジータはバスルームから出てきた。
「もう・・・ 隠れることないじゃない。 ヘンな人ね。」
仏頂面のままベジータは、ベッドに腰かける。
娘を腕に抱いたまま、ブルマは夫にもたれかかる。
「・・・なんだ。」 「ううん。」
いつの間にかブラは眠っていた。 小さな寝息が聞こえてくる。
「幸せだな、 って思って・・・ 」
娘と同じように、ブルマも目を閉じる。
ベジータは妻の肩をそっと抱き寄せた。 何かを言ってやる代わりに。
夜空の上で、トランクスは思い出していた。
まだ会話ができていた頃、 やはり一人でこんなふうに祖母を見舞った。
いつもの調子で祖母は言った。
『ブルマさんの赤ちゃんのお名前、ブラちゃんってどうかしら。』
『いいんじゃない?ママの名前に似てるし。』
実はあまり、そう思わなかったのだが、祖母を気遣ってそう答えた。
『ふふふ・・・ 下から読んでごらんなさい。 あなたのパパとママに、ピッタリでしょう?』
明日はママが、妹を連れて家に帰ってくる。
パパはそれより一足先に家に戻るんだろう。 素知らぬ顔で。
両親と妹のいる病院の方角を振り返って、少しだけ笑いながらトランクスはつぶやく。
「ほんと。 ママは大変だよな。」