『幸せになろう』
トランクスに会うために、あの部屋を訪れていた頃のこと。
彼に抱かれたあと、ベッドの上でわたしはいつの間にかまどろんでいた。
仕事の電話をしているらしいトランクスの声で目が覚める。
わたしには、まるで理解できない内容。
電話を終えたトランクスは、コンピューターの画面から目を離さずに言った。
『ごめん、起こした? ・・でも、もう時間だな。』
会う日も時間も 彼が決めていたけれど、
わたしが なんとか家族に言い訳できる時間までには、必ず帰してくれていた。
帰り支度をしながらわたしは彼に、本当にありきたりな言葉をかけた。
『大変ね・・・。』
こちらを向かずにトランクスは答えた。『別に、たいしたことないよ。』
そして、こんなふうに付け加えた。
『だっておれは、一つの星のトップになってたかもしれないんだぜ。』
『・・惑星ベジータの?』
『そうだよ。もし、まだ存在していたら・・。
父さんは、戻る時、母さんを置いてはいかなかったと思うからさ。』
トランクスは、母さんとおれ、と言わなかった。
彼が両親のことを口にする時、わたしはいつも何て返していいのかわからなかった。
トランクスが、自分のお母さん・・ブルマさんに特別な想いを抱いていることがわかっていたから。
彼が今まで付き合っていた人と長続きしなかったのは、
無意識にブルマさんと比べていたせいじゃないかと思う。
わたしが、周りの同年代の男の子たちと トランクスを比べてしまっていたのと同じように。
ブラちゃんの結婚式が終わってすぐに、ブルマさんが入院した。
お見舞いに行く途中、お花屋さんに寄る。
結婚式の日にもらったブーケと同じ花が目に入った。
ブラちゃんの髪と瞳の色に合わせたというきれいな青。
そして、それは ・・・
あの日のことを思い出す。
わたしはどうしてトランクスに、あんなことを言ってしまったんだろう。
『次の花嫁はパンちゃんだな。』
これまでのことをまるで忘れてしまったような、彼の言葉に傷ついたせいかもしれない。
もう10代じゃないのに、 幼ななじみはもうじきお母さんになるっていうのに、
わたしはやっぱりまだ子供だ。
ノックを二回して病室の白い扉を開けると、よく似た母娘の笑顔が目に飛び込んできた。
「こんにちは。」 「パンちゃん、来てくれたの・・。」
付き添っているブラちゃんが、お見舞いの花束を受け取る。
少しおなかが目立ってきたみたい。
「どうもありがとう。 そのお花、ブラの結婚式の時のブーケと同じものね。」
薄化粧をしているブルマさんは、本当にきれいな人だと改めて思った。
顔立ちが整っているだけじゃなく、なんていうか、華がある。
ブラちゃんは ブルマさんにそっくりだけど、やっぱりどこかお父さんにも似ている気がする。
口に出して言ったことはないけど。
「結婚式の日も思ったけど、パンちゃんきれいになったわね。 すごく大人っぽくなっちゃって・・・。」
そんな、と言うわたしを遮ってブラちゃんが口をはさんだ。
「だってパンちゃん、恋人ができたのよね。 わたし、街で見たもの。」
そう、その人と一緒にいる時、ブラちゃんと偶然会ってしまったのだ。
だからトランクスはあの日、ああ言ったのかもしれない。
「あの人はパパがお世話になってる教授の息子さんで・・・そんなんじゃないんです。」
「えー、それお見合いってこと? まだ二十歳なのに早すぎるわよ。」
「そんなおなかで言ったって、説得力が無いわよ・・・」
ブルマさんが、わたしの思っていたことを言ってくれる。 わたしたちは声をあげて笑った。
お茶をごちそうになって、そろそろという時。
花瓶に生けられた花を見ながら、ブルマさんがぽつりと言った。
「わたしは、パンちゃんに トランクスのお嫁さんになってほしかったわ。」
沈黙のあと、明るい調子でブラちゃんが言った。
「そうね。パンちゃんがお義姉さんだったら、わたしも うれしいな。」
言葉に詰まったわたしは、ようやく答える。 「そんな・・ わたしなんか・・・。」
あの数ヶ月間、トランクスとわたしは、ほとんどあの部屋で過ごしていただけだった。
だから、誰も知らないはずなのに。
ブルマさんは笑顔でこう言った。
「だって・・。きっと立派な尻尾の、元気な赤ちゃんが生まれてくるわよ。
ブラと悟天くんの子と一緒に特訓してもらって・・。
そしたらC.C.は、ずっと賑やかよね。
寂しがってる暇なんて、なくなるわ・・・。」
「ママったら。パンちゃんが困っちゃうでしょ。」
たしなめるように言ったブラちゃんは、ブルマさんの方を見ていなかった。
ブラちゃんは、病院の玄関まで送ってくれた。
「わざわざありがとう。 ブラちゃんも体、大事にしてね。
お手伝いできることがあったらいつでも言ってね。」
「・・ありがと。 だけど、平気よ。 でも・・ 」
わたしは驚いた。 ブラちゃんの瞳には、涙があふれていた。
「また来てね。 きっとよ。 ママは喜ぶし、わたしも・・・ 」
「ブラちゃん?」
泣きじゃくる幼ななじみの、背中をさすってあげることしかわたしにはできなかった。
わたしは本当に何も知らなかった。
あの後 どうやって家まで帰ってきたのか、まるで覚えていない。
自分の部屋の扉を閉めて、わたしはずっと泣いていた。
トランクスと最後に会った、あの日よりも泣いた。
C.C.社のことがあるから、彼はずいぶん前から知っていたのだそうだ。
わたしと一緒にいた頃には、もうとっくに。
トランクスの抱えていたものは、わたしが思っていたよりもずっと大きかった。
わたしは、本当に何もできなかった。
ドアをノックする音がして、ママが部屋に入ってきても取り繕うことができなかった。
ママは言った。「ブルマさんのこと、聞いたのね。」
そして、ベッドに伏せていたわたしの背中をさすってくれた。 とても優しく。
「ママ・・・。」 わたしはママに抱きついて、また泣いた。
「ブラちゃんはもう、こんなふうに泣くことができないんだわ。」
しゃくりあげながらそう言うと、ママは静かに答えた。
「そうね。ブラちゃんは、お母さんになるんだものね。
これからは、子供を抱っこしてあげる方になるのよ。 だけど・・・。」
一旦、言葉を切る。
「ブラちゃんには、悟天くんがいてくれるものね。
ね、パン、正直に答えて。 あなた、お付き合いしてた人がいたんでしょ?」
泣きはらしたわたしの目をじっと見ながら、ママは続ける。
「相手の人の名前は言わなくていいわ。
その人のことが、まだ好きなんでしょう? 気持ちを伝えなくていいの?」
わたしは頷くことも首を横にふることもできず、消え入りそうな声で言った。
「ごめんなさい、たくさん嘘ついて・・。」
「そのことは、もういいわ。 これからのことは、あなたが自分で考えて決めるのよ。
どうすればいいかは、パンが一番よくわかってるはずよ。」
パパに紹介された人と会うことにしたのは、トランクスのことを忘れたかったからだ。
そんなこと、できるはずないのに。
そして・・
ママがわたしを産んでくれたのは、今のわたしとほとんど変わらない年だということにも気づく。
わたしも、もっとしっかりしなくちゃいけない。
いつかトランクスにふさわしい人が現れたら、彼の前ではきちんとお祝いしたいと思う。
一人の時には、こんなふうに泣いたとしても。
ブルマさんが亡くなったのは、それから数ヵ月後のことだった。
トランクスが取り仕切った社葬が無事に終わったある日、C.C.でお別れの会が開かれた。
中心になったのは、孫家だ。
身重のブラを気遣って、パンは甲斐甲斐しく動き回った。
キッチンに足りない食器を取りに行った、その時。
とてもよく知っている気を背後に感じた。
そう、彼の気だけは、すぐわかる・・・。
「トランクス・・。」 「お疲れ様。 悪いね、大変だろ。」
パンは首を横に振る。
少しやせたように見えるトランクスに、何か言おうとするけれど言葉にならない。
ただ、もうどうしようもなく涙があふれた。 トランクスは、彼女をそっと抱き寄せた。
かつて何度も指を通した、つややかな黒い髪がすぐ目の前にある。
「ちゃんと伸びたんだな。」
肩の辺りで切りそろえられた髪を見て、彼は少し笑った。
けれども、こんな言葉を残してこの場を後にしようとする。
「・・こんなことしたら、恋人に叱られるよな。」
そんな人、いないわ。
パンがそう言おうとした時、扉が開いてキッチンに入ってくる者がいた。 ヤムチャだった。
「やあ、ちょっと水もらえるかな。」
パンは、ミネラルウォーターをグラスに注ぐ。
トランクスはキッチンを出て、人の輪の中に戻ってしまった。
一時間ほど経った頃。
会社を抜けてきたトランクスが仕事に戻ろうと玄関へ向かうと、ヤムチャが声をかけてきた。
「また仕事か。 大変だな。」
「たいしたことありません。 ・・C.C.社は母さんの形見ですからね。 頑張りますよ。」
「そうだな。 ・・あとさ、余計なことだけど、後悔のないようにした方がいいよ。」
キッチンでの、パンとのやりとりを見ていたのだろうか。
本当に余計なことだ。 トランクスは、母の昔の恋人だった男を少し睨んだ。
その視線に怯むことなくヤムチャは続ける。
「せっかく生きてるんだからさ。 ブルマだって、きっとそう言うと思う。」
親父のほうは言わないだろうけどな。 そう付け加えて笑うと、トランクスも苦笑いをした。
そして尋ねてみる。 ずっと前から、聞いてみたいと思っていたことを。
「ヤムチャさんは、後悔していますか。」
しばしの沈黙のあと、ヤムチャは答えた。
「・・・だけど、そのかわり、おまえとブラちゃんに会えたんだものな。」
「・・もう、行かないと。」
出て行く前に見せたトランクスの表情は、
妻を看取った後、姿を消してしまった彼の父親によく似ていた。
「口に出さないだけで、ちゃんと思ってはいるんだよな。」
人の輪の中に戻ったヤムチャはつぶやく。
「何をですか?」 小さな相棒からの質問に、彼は心の中で答えた。
「愛してる、ってさ。」
そして、言った。 この場にいない誰かに向けて。
「尻尾の生えた子供が、また増えるかもしれないぞ。」