270.『忘れ物』

ブラが出てくる話をいくつか書いていたところ、何となく思い浮かびました

天ブラ感が強いですが、結婚式やベジブル晩年と繋がっているので…。]

わたしは今、バスルームの洗面台の 鏡の前に立っている。

ここはホテルの一室、 最上階にある スイートルームだ。

何故、こんな贅沢な部屋に泊まれるかって?

それは お兄ちゃんからの、結婚祝いの一つだからだ。

今日は結婚式だった。

そう。 わたしは今日、孫悟天の妻になったのだ。

 

美容師さんに施してもらったメイクは、落とすのに結構な時間が かかった。

プロの手で、いつもよりも鮮やかな色をのせた わたしの顔は、やっぱりママに よく似ていた。

それは さておき、今日は とにかく、会う人みんなに きれいだと褒められた。

なんだか まるで、祝福の言葉とセットになっているみたいだった。

 

ママも涙ぐみながら、何度も何度も言ってくれた。

あのパパでさえも 口をへの字にして、あさっての方を向きながら うなずいていた。

ママが口にしていた、

『ねえ、本当にきれいよね。 わたしと あんたの娘よ。 こんなに大きくなったのよ…。』

そういう言葉に対してだったけど。

で、お兄ちゃんはといえば、こんなことを言っていた。

『居間に飾ってある、あの写真の母さんに似てるよ。』

… パパとママの、ウェディングフォトのことだ。

実は わたしも、同じことを思っていた。

けれど その遠回しな 回りくどい褒め言葉は、わたしの中の ある遠い記憶を蘇らせてくれた。

 

今から10数年前、5歳くらいの頃の話だ。

通っていた幼稚園で 、一人の男の子に しょっちゅう絡まれていた。

いやがらせというほどではなく、いじめでもない。

だって わたしは、全然負けていなかったから。

ところで その男の子は、パンちゃんと一緒の時は あまり やってこなかった。

彼女がミスター・サタンの孫で、武道をやっていることを知っていたためだろう。

でも ある意味、修行をしていない わたしの方が危険なのだ。

力を抑える術を、体得していないのだから。

そんなこととは知らず、その男の子は また、わたしに声をかけてきた。

お昼過ぎの、お迎えの時間。

パンちゃんは用事があって、早めに帰ってしまった。 そこを、狙ってきたのだ。

 

『ねえ。 今日は誰が迎えに来るのさ。』

『さあ、パパじゃない、多分。』

『ふーん、なんだ。 おばあちゃんじゃないんだ。』

? パンちゃんと間違えてるの?

『わたしに おばあちゃんはいないわよ。 わたしが生まれる少し前に死んじゃったんだもの。』

『えーっ、 おかしいなあ。』

ひどく大袈裟な素振りで、男の子は声を上げる。

『そうか、あれ、ママだったんだ! ずいぶん年取ってるから、てっきり おばあちゃんだと思ったよ!』

わざとらしい子ね。

『確かに、若くはないわよ。 でも関係ないわ。 うちのママは、すっごく きれいだもん。』

『ふん、そんなの。 どうにでも できるんだろ、大金持ちなんだから!』

 

… 今 思い出しても腹が立つ。

だけど これって、どう考えても 幼稚園児の発想ではない。

周りの大人、というか おばさんたちが囁いていた内緒話を、わたしに ぶつけていたのだろうか。

でも その頃のわたしは、そんなことは考えられなかった。

『よくも言ったわね…。 許さないわよ、あんた…。』

向き合った わたしの形相を見て、男の子は顔色を変えた。

もしかすると わたしの髪や瞳の色も、変わってしまっていたのかもしれない。

次の瞬間。

逃げようとした男の子に飛びかからんとしていた わたしの、肩を押さえた人がいた。

それは先生でも、いつも その役を担ってくれたパンちゃんでもなく、

わたしを迎えに来たパパだった。

 

男の子に向かって、パパは言った。

『俺は こいつの父親だ。 どうだ、似ていると思うか?』

怯えた様子で、首を横に振る男の子。

『そうだろうな、こいつは母親と瓜二つだ。 おまえは こいつを、醜いと思っているのか?』

その質問に、男の子は答えなかった。

うわーーーん、と泣きべそをかきながら走り去って行った。

靴を履き替えて外に出ると、園庭で 大人にしがみついているのが目に入った。

先生ではなく、どうやら 迎えに来てくれた お母さんだ。

『ふんっ、甘えん坊ね、カッコ悪い! ああいう男の子、わたし大っキライ!!』

帰り道、誰にともなく訴えると、パパは苦笑していた。

 

『ねえ。』  足を止めて、わたしは尋ねた。

『なんだ。』

『ママは とっても きれいよね。』 

『…。』

『パパは そう思ってるんでしょう? ねえ、答えて。』

しばしののち。 食い下がる わたしに、パパは渋々 言葉を発した。

『この俺が わざわざ、』

『えっ?』

『醜い女を ・・ はずがないだろう。』

そして、『わかりきったことを言わせるな。』  そう付け加えて、黙ってしまった。

残念ながら、肝心なところは よく聞き取れなかった。

 

この俺が、醜い女を妻にするはずがない、愛するはずがない。

ああ、それとも、抱くはずがない… かもしれないわね。  

それが一番、しっくり くるかも。

そんなことを思いながらシャワーを終えて、わたしはベッドの方へ向かった。

 

「悟天…。」

声をかけたけれど 返事が無い。

大きなベッドに横たわり、寝息を立てている彼。

まとまった休みをとるために、仕事を頑張りすぎたせいだろう。

わたしは黙ってブラインドを上げた。

「わあっ、きれい。」

窓の外には都の、素晴らしい夜景が広がっている。

このホテルはC.C.社が出資しており、お兄ちゃんが長いこと常宿にしていた。

今いる この部屋ではなかったらしいけど…

お兄ちゃんも誰かと、この夜景を眺めたのかしら。

 

その時。 背後から、肩を きつく抱き締められた。

「あら、起きたの。」 「ちゃんと起きてたさ。 寝たふりをしてたんだよ。」

「うそお。 とても そうは見えなかったわ。」

そんな やりとりの後、彼は わたしを向き直させて、しげしげと顔を見つめた。

「うん、きれいだね。」

「? お化粧は落としちゃったし、いつもと一緒よ?」

「だからさ、改めて そう思ったんだよ。 きれいな奥さんをもらって、幸せだなーって。」

「ふふっ…

両手を伸ばして頬を包み、唇の温もりを確かめ合う。

そうしながら わたしは また、思いを巡らせている。

さっき思い出していた、幼い頃のパパとの思い出。

口止めされたわけではないのに、何故か誰にも話してなかった。

ママに話したら、何て言うかしら。

苦笑しながらも、きっと 喜んでくれると思う。

何か特別な時にでも、教えることにしようかな。

褒めることをせず、人を愛する気持ちを、決して言葉にしないパパだから…。

 

「何考えてるの?」

やや不満げな悟天に尋ねられ、わたしは あわてて取り繕う。

「ん? 明日からの旅行のことよ。 楽しみだなーって。」

 

その旅行から帰ってきて すぐに、わたしたちは、

ママが もう長くないことを知らされた。

そして、それから半年も経たぬうちに ママは旅立ってしまった。

わたしと悟天の最初の子供、初孫の顔を見ることさえ、叶わなかった。

 

あの話も結局、しそびれてしまった。

他にも、話したかったことは たくさんある。

ママの方は思い残したこと、伝えそびれたことは あっただろうか?

少なくとも パパに対しては ほとんど無かった、そう思いたい。

だからこそ、若いとは言えない年齢で、わたしを産んでくれたのだと思うから…。

 

あれから、10年余りが過ぎた。

「ねえ ねえ、どっちがいいと思う?」

2着のワンピースを手に、わたしは夫の意見を伺う。

「うーん。」

優しい悟天は こういう時、面倒がらずに ちゃんと答えてくれるのだ。

「こっちかなあ。」

「えー、こっち? 地味じゃない?」

「その方がいいよ。 ブラは きれいで目立つから、花嫁さんに申し訳ないだろ。」

今日は夫婦で、知り合いの結婚式に出席するのだ。

 

「まったく、真顔で よく言うよね…。」

わたしたちの会話を聞いていた長男が、呆れかえった声を出した。

「なによ。 いい年してとか、そういう話?」

悟天も言葉を添えてくれる。

「年なんか関係ないぞ。 実際 ブラは、まだ若いんだし。」

「いや、年っていうより、もう長いこと一緒にいるのに よくやるなーって。」

「それも関係ないわね。 むしろ どんどん、愛が強くなってるわ。」

生意気盛りの息子に向かって そう きっぱりと告げた後、わたしは急いで自室へ戻った。

 

式場へは車で向かう。

助手席のドアに手をかけながら、悟天は改めて わたしを見た。

「うん、いいね。 すごく きれいだよ。」

「ふふっ、ありがと。 悟天もステキよ!」

今日は、子供たちは パパと一緒にお留守番。

もう みんな 赤ん坊ではないから、大きな問題は起こらないはずだ…

「ごめん、ちょっと待ってて。」

「なんだい、忘れ物?」

「うん、 すぐに戻るわ!」

 

駆け足で家に戻る わたし。

『行ってくるわね。 いい子にしててね、お土産を買ってくるから。 それと、愛してるわ!』

かつて 仕事に向かうママが、わたしに言ってくれた言葉。

それを、子供たち一人一人に伝えるために。

 

もう わたしは、言いそびれたりしない。

思いを伝え忘れない人生を、送ろうと思っている。

心から愛する夫、そして愛する家族とともに。