259.『天国と地獄』
ある晴れた朝、 彼は静かに その生涯を終えた。
最愛の妻、そして子供や孫たちと過ごした、住み慣れた家で。
妻の死からは、二十年余が経過していた。
彼にとって、数回目となる死。
それは戦いでの敗北がもたらしたものではなく、目には見えない衰えによるものだった。
戦闘民族の王子として生まれながら こういう形の死を迎えたことを、
彼はもう、それ程 情けないとは思わなかった。
病院などに入れられて、子供や孫たちを煩わせたり、
ヘンに労わられたりするよりは余程マシだと思っていた。
彼にとって、何度目かになる あの世の入口。
失った肉体を再び与えられ、危機を迎えた地球に呼び戻されたこともあった。
だが もう、そんなことは起こらない。
自分の持っている力や技の多くは、次代を担う者たちに伝え、託した。
平和になった地球で、彼は余生をそのように過ごした。
それが、愛した女の願いであると考えたからだ。
順番がやってきた。 彼は閻魔大王の前に立つ。
「ベジータか。 久し振りだな。」
返事をしない彼のことを気にすることもなく、閻魔は続ける。
「素晴らしい功績だ。 行きがかり上とはいえ、おまえは間違いなく 地球を危機から救った。」
そして付け足す。
「子や孫たちにも、秘めた力の正しい使い方を導いた。 おまえは、あの 孫悟空と並ぶ功労者だ。」
久しぶりにその名を聞いたと彼は思った。
宿敵。 そして自分が地球に住み着くことになるきっかけを作った男。
皮肉にも、サイヤ人であることを知らずに育ったその男のほうは、ある大きな戦いの末に姿を消した。
しかし、死んで 滅びたわけでは決してない。
知らず知らずのうちに 地球だけでなく宇宙全体を何度も救ったあの男は、
いわゆる『神』の一人になったのだ。
だが 一所にふんぞり返っていられる奴ではない。
おそらく今も、周りの者を巻き込んだり 逆に巻き込まれたりしながら、
次元の異なる世界を飛び回っているのだろう。
そんなことを考えて、彼は口元に少しだけ笑みを浮かべた。
ぽつりと閻魔がつぶやく。 「地球に来る前のことが無ければな・・・。」
そうだ。 殺戮者だった自分は、間違いなく地獄行きだ。
どれほど平和に貢献しようが、恩赦などあるはずがない。
「さっさと連れて行け。」
ようやく口を開いた彼に、閻魔は言った。 「ベジータ。 おまえ、何か望みはないか。」
思い残していることとか・・。
付け加えられた一言で 彼の脳裏に浮かんだのは、宿敵との決着ではなく、愛した女の顔だった。
しかし彼は、それをすぐに打ち消した。
たとえ会うことが許されたとしても、ほんの短い時間だろう。
別れの苦しみを、また味わうだけだ。
あいつは、ブルマは まだ天国にいるのか。 その質問も、彼は口に出さない。
ブルマが旅立って、既に長い年月が過ぎている。
もうとっくに生まれ変わっているのだろう。
自分のことなど忘れて、新しい別の命として。
「何もない。」 そう答えた彼を見つめ、閻魔は黙って頷いた。
いつの間にか、隣に人が現れた。
またしても、なつかしい顔。 占いババだった。
占いババの案内で、ベジータは ある場所へたどり着いた。 周りには何もない。
「どこなんだ、ここは。」 ここが、地獄の入口なのか?
「幸運を、祈っておるぞ。」 一言だけを残して、占いババは消えた。
「ベジータ、 ベジータってば。」 眠りから呼び覚ます、女の声。
その呼び方は、娘ではない。 まさか・・・
「ブルマ!!」 「どうしたの? そんなにビックリした顔して。」
「どこだ、ここは・・。」
せわしなく辺りを見回す俺を、あきれたように見つめながらブルマは言う。
「寝ぼけてるの? もう。 外で特訓するって言うから、急いで戦闘服の替えを用意したのに。
気が変わったの?」
C.C.か。 どういうことなんだ。 俺は地獄へ落とされるはずだ。
それとも、これまでのことは全て夢だったというのか。
いや、そんなはずはない・・・。
「重力室を使うことにしたの?」 ブルマが尋ねてくるから、ああ、と適当に返事をする。
あごの下で切りそろえられた髪。
よく見ると、腹がでかい。 これは・・ トランクスが腹にいた頃か。
「じゃあ、ちょっと調整しなきゃ。また爆発でも起こしたら大変、じゃ済まないわ。」
そう言って、重力室へ向かおうとする。 でかい腹をかかえて。
「明日でいい。」
思わず口から出た言葉に、ブルマは怪訝な顔をする。
「珍しいわね。 だけど、明日は朝から仕事なのよ。 その後はしばらく産休をとるから・・。」
「だったら、時間ができてからで構わん。」
「どうしちゃったのよ。 あんた、ほんとにベジータ?」
その言葉にギクリとしながらも俺は言った。
「とにかく、今日は もう寝ろ。 早く休め。」
不審がるブルマを部屋に連れて行く。
「もう、勝手なんだから。」 苦笑いするブルマの隣に、体を横たえる。
この頃は まだ、一緒に眠っていなかった。 そのことに気づいたのは少し後だ。
だがブルマは、何も言わなかった。
そう広くないベッドの中で、俺の手をとり、自分の腹に当てさせる。
「この子ね、男の子だったのよ。」 そうだな。 思わず、口から出そうになる。
「ずっと内緒にしてもらってたんだけど、この間の検診で わかっちゃったの。」
おかしそうに笑う。
「病院の検査機器が、C.C.社製だったのよね。 性能が良すぎるのも、考えものだわ。」
そしてつぶやいた。
「あんたとわたし、 どっちに似てるのかしら。 楽しみね・・。」
どちらにも似ている。
それに、俺たちはもう、そいつに会ってる。 顔を見て、話をしてるんだ。
俺は腕を伸ばして、ブルマの肩を抱き寄せた。
甘い、懐かしい匂いを思いきり吸いこむ。
静けさを破って、ブルマが口を開いた。 「・・しなくて、いいの?」
「な、何を言ってやがる。」 ・・確かにこの頃は、ただ一緒に眠ることなど ほとんど無かった。
「まぁ、こんな おなかだもんね。でも、ちょっと残念。」
そう言いながらもブルマは、満ち足りたような笑顔を見せる。
ただ、俺がそばにいるというだけで。
「・・フン。 下品な女だ。」
いつもの一言を口にすると、ブルマは小さく ささやいた。
「下品な女が好きなんでしょ?」
そして、独り言のように付け加えた。
「わたしもね、勝手な男が好きなのよ。」
目を閉じたブルマは、間もなく寝息をたてはじめた。
これは一体、どういうことなんだ。
地獄で見ている夢なのか。 それとも閻魔の奴が、俺にかけた情けなのか。
だが 腕の中のブルマからは、確かな体温が感じられる。
答えの出ない問いかけを頭の中で繰り返し、いつしか俺も 眠りに落ちていった。
「ベジータ、 ベジータってば。」 聴き慣れた、女の声で目を覚ます。
ブルマ・・。 髪形が同じだ。 状況は、変わっていないのか。
だが、腹の辺りに目をやると・・・
「おまえ、子供はどうした。」
「え? トランクスなら、子供部屋で寝かせたわよ。」
トランクスを産んだ後なのか。
「一緒に寝たがってぐずるんだけど、夜、仕事しなきゃいけない時もあるから・・。」
言葉を切って、俺の顔を覗き込む。 「でも 今夜は、仕事はお休みにするわ。」
促されて、俺が使っていた部屋へ行き、二人でベッドに入る。
そこでブルマは、こんなことを言い出した。
「あんたがおとなしいと、ちょっと不安になるわ・・。
そのまま 何にも言わずに、どこかへ行っちゃいそうで。」
セルとの戦いの後なのか。
「・・いくら俺でも、宇宙船が無ければ 地球から出られん。」
そう答えると、ブルマはおかしそうに笑いだした。
「そうね。他社も追随してるけど、C.C.社の宇宙船は地球一よ。」
俺の腕を枕にしながら、ブルマは話す。
「今日ね、チチさんのところへお祝いに行ってきたのよ。 トランクスも連れて。」
祝い?
「悟天くん、子供の頃の孫くんにそっくりだったわ。
悟飯くんも似てると思ってたけど、それより もっと・・。」
奴をガキの頃から知っているというブルマは、しんみりとした声になる。
「だけどね、わたし、孫くんとは これっきりって気がしないのよ。
どこかへ消えちゃったと思ってても、いつだって戻って来たもの。
それまでより もっと強く、たくましくなって、ね。」
いつになるかは、わからないけど。 小さな声で 付け加える。
ブルマの言うとおりだったのだ。 奴は確かに戻ってくる。
新たな敵を、連れて来てしまう形で。
戦うことを忘れた戦士たちを、奮い立たせようとするかのように。
それは、それ程 遠い先のことではない。
「口には出さないけど、チチさんもそう思ってるみたいだったわ・・。」
話しながら、ブルマは俺におおいかぶさった。
「チチさんも結局、勝手な男が好きなのかもね。」
やわらかな手のひらが頬を包んで、唇が重ねられる。
「わたしもだけどね。 わたしも、勝手な男が好き・・。」
その言葉が合図になって、体勢を入れ替える。
もっと深く、何度も 何度も同じことを繰り返す。
放してやった唇から洩れる、かすかな喘ぎ。
鼻くうをくすぐる甘い香りは、今は俺を誘い込むために 雌が放つ匂いのように思える。
「・・下品な女だな。」
抗えない俺の せめてもの一言に、ブルマは また同じ言葉を返した。
「下品な女が、好きなんでしょ?」
これは一体、何なんだ。
ブルマを抱いて、眠りについて、また目覚めたら、次はどの時代へ飛ばされるんだ。
それとも今度こそ、俺は一人で地獄へ落ちていくのか。
あるいは、もしかすると・・ これは悔いを改める旅なのか。
破壊と殺戮の本能を抑え、愛情と、愛する者を失う苦しみを知らされること。
それこそが、俺にとっての地獄なのか。
答えは出てこない。
だが、それでもいい。 腕の中に、今、この女がいるのなら。
今夜、疲れ果てて 深い眠りに落ちるまで、俺はブルマを抱くだろう。
『愛してる。』 その一言を言ってやる代わりに。