279.『ミルク』
[ベジータとブルマ、1歳頃のトランクス、そして悟飯だけが生き残ったという設定です。]
こういう暮らしになってから トランクスはよくぐずるようになった。
環境が急に変わってしまったのもあるのだろうけど、満腹になることが少なくなったせいだと思う。
そんな時 わたしはトランクスを抱き上げて、胸元をはだける。
仕事で離れることが増えるからと、ずいぶん前にミルクに切り替えてしまった。 だから、ほとんど出ないんだけど。
それでもしばらく吸いついた後には、安心したように寝息をたて始める。
ふと、視線を感じる。 少し離れた所に 悟飯くんが立っていた。
わたしは口元に人差し指を当てながら立ち上がる。 そして、やっと眠ったトランクスをベビーベッドに寝かせる。
たくさんの物が無くなってしまったけど、母さんが選んでくれた このベビーベッドは残った。
半壊のC.C.の中で。
声をおとして悟飯くんは言う。
「僕たちは多少おなかがすいても我慢できるけど・・。トランクスはかわいそうですよね。」
自分だって大人じゃないのに、この子はよく そんな言い方をする。
「・・口に入るものなら何でも食うはずだ、なんてベジータは言うけど、半分は地球人だものね。」
悟飯くんは、いつから大人とおんなじものを食べ始めたのかしら。
お乳だけじゃ足りなくて、ミルクをたくさん飲んだのかしら。
わたしは、それを口に出せない。 そのことを教えてくれる人は、もう この世にいないから。
なんだか、とっても・・ 言いようのない気持ちになったわたしは、壁を背にして床に腰をおろした。
そして、手招きをした。
「悟飯くん、いらっしゃい。」 「えっ?」
とまどったような顔で近付いてきた彼の手をとり、引きよせる。
「抱っこしてあげる。」
「そんな、いいです。」 よく鍛えてはあるけれど、まだ小さい肩に両腕をまわして 立ちあがるのを押さえる。
「いいじゃない。 わたしが、そうしたいのよ。」
わたしたちは、少しの間 そのままでいた。
「赤ちゃんだった悟飯くんに会ってみたかったな。」 独り言のようにつぶやいてみる。
「孫くんってば、知らせてくれないんだもの。 いっそ、こっちから会いに行けばよかったわね・・。」
そうよ。 自分から行けばよかった。 あの頃、わたしは何をしていたんだろう。
仕事、 遊び・・・ それから、恋人だったヤムチャとケンカばかりしていた。 理由も思い出せないようなことで。
だけど平和で、みんな元気で、幸せだった。
ふと見上げると、ブルマさんの青い瞳から涙があふれていた。
・・お父さんが死んでしまった時、お母さんは顔を伏せて泣き続けていた。
ぼくは自分が泣くことを忘れて、ずっと背中をさすってあげた。
だけど、こんなふうに声を出さずに泣いている人には どうしてあげたらいいのかわからない。
「ブルマさん・・・ 」 左手を伸ばす。 せめて、涙で濡れた頬をぬぐってあげたくて。
なのに、そう思っていたのに、何故か ぼくは 手じゃなくて・・・
その時。 刺々しさに満ちた、強い気を感じた。 間もなく、外に出ていたベジータさんが姿を現した。
ぼくは はじかれたようにように立ち上がり、言った。
「都の様子を見てきます。 できれば、食べられるものも見つけてきます。」
「こんな遅くに・・。 朝になってからにしなさいよ。」
心配するブルマさんの言葉が終わらぬうちに ぼくは飛び去る。
ベジータさんの顔を見ることはできなかった。 舌先に、涙の味が残っていたから。
ベジータは黙っている。 だからわたしの方から口を開く。
「・・お母さんが、恋しいだろうと思ったのよ。」
わたしだって恋しいわ。 もう大人だけどね。 そう付け加えたあと、尋ねてみる。
「あんたのお母さんってどんな人? お妃さまだったんでしょう?」
答えない。 わたしは一方的に話し続ける。「それとも王子様っていうのは、乳母なんかに育てられるの?」
子供の頃に読んだ童話を思い出して、少しだけ笑ってしまう。
そして、言おうとしてしまう。 何の言葉もくれない男に。
「ねぇ、教えてよ。 わたしたちには・・ 」 明日はやってこないかもしれないのよ。
言い終わらぬうちに、強い力で引き寄せられて 口を塞がれてしまう。 彼の唇によって。
床の上に組み敷かれる。 けれど、以前のように 着ているものを引き裂いたりはしなくなっていた。
これは、ベジータなりの気遣いなんだろうか。
仰向けのまま彼の肩越しに、ひびの入った天井を見つめて わたしはそんなことを考えていた。
「・・宇宙船を飛ばせられたうちに、地球を出ればよかったのに。」
そんなわたしの一言で、やっと、ようやくベジータは口を開く。
「こんな遅れた星で作られた人形どもに手こずるようじゃ、どのみち宇宙では生きていけないんだ。」
それはひどく苛立たしげで・・ まるで、自分に言い聞かせているようだった。
わたしは、地球に来たばかりの頃の彼を思い出した。
「悟飯くんが、戻ってくるわ・・。」
腕を解いて、体を離そうとしたわたしを ベジータはもう一度押さえこむ。
「別にかまわん。」
そう言ったあと、さっき自分の手で露わにした胸に 顔を埋める。 「ベジータ・・・。」
わたしは彼の髪に指を通して、その匂いを吸いこんでいた。
母親を、家族を亡くした少年と同じ色をしているけれど、手ざわりも匂いも まるで違っている。
両親が、友達が、あんなふうに死んでしまったこの世界で、
わたしがまともでいられるのは あんたがいてくれるからなの。
だから、 お願い、 どうか ・・・
「あ・・! あ・・・っ」
そのあと ベジータは・・ 少し前に自分の息子が吸いついていたそこを口に含んで 同じことを始めた。
何倍もの、強い力で。
「ベジータぁ・・・ 」
痛みと快感のはざまで わたしは、彼の頭を抱きしめながら 何度も何度も名前を呼んだ。
願いが決して叶えられないということを、その時には もうわかっていたから。