『彼女の願い』

時期は原作の最終回の頃です。 相変わらず しめっぽくてスイマセン・・。

夕暮れ時。  ある温泉宿に、二人はいた。

あまり派手な宣伝をしていないためか、全体的に ゆったりとしており、

料金の方も手頃であるという穴場だった。

 

当初は家族揃って、と考えていたのだが、

舅のような存在の師匠は、このような旅には あまり同行しない。

そして 中学生になった一人娘も、試験が近いことを理由に 家に残ると言い出した。

 

部屋でくつろいでいたクリリンが、妻に向かって声をかける。

「なあ、風呂にしようぜ。」

こういうタイプの宿の風呂といったら、大浴場だろう。

いくら同性であっても 見ず知らずの人間の前で裸になるなんて、とんでもないと思う。

だから、彼女は こう言った。

「あんただけ行ってきな。 あたしは後で、部屋についてるやつに入る。」

「部屋の風呂って、これだぞ。」

クリリンが、ガラス戸を開けた。

ベランダだと思っていた場所は、なんと露天風呂だったのだ。

「な、なんだよ、 これ・・。」

「個室露天風呂ってやつ。 この宿の売りなんだよ。 あ、外からは見えないようになってるから。」

「イヤだよ、 こんな。 一人で入ればいいだろ。」

「えーっ、 せっかく来たってのに そりゃないよ。」

 

18号は舌打ちをした。

男女が逆の こうしたやりとりは、知り合いの家で たまに目にする。

だが あの男と違って自分は、金の価値を ちゃんとわかっている。

なんといっても自分は、家計を預かる主婦なのだ。

わざわざ温泉宿に足を運びながら 風呂に入らない。

それは、元をとっていないことである。

そう考えた彼女は 不機嫌な様子で、それでも手早く服を脱いだ。

 

広いとは言えないカメハウスで、結婚生活を送っている彼ら。

同居している亀仙人の視線が気になるということもあり、

家では夫婦で入浴したことなど、ほとんど無かった。

決して スタイルに自信がないわけではなかったが、

明るい場所で裸体をさらすのは抵抗がある。

それでも、大きな湯船につかるのは 気持ちが良かった。

お湯の中で両脚を伸ばし、微かな溜息をつく。

妻の横顔に向かって クリリンは言った。

「マーロンが心配してたぞ。 近頃 おまえに元気がないって。」

「・・・。」

「それがさ、 あの、葬儀の手伝いに行った日からじゃないかって言うんだ。」

 

先月のことだ。

クリリンの職場の同僚が、病で亡くなった。

同じような年の子供がいることや 武道をやっていたという共通点で、

クリリンは仕事以外でも親しくしていたらしい。

だから彼は 妻である18号を伴って、諸事の手伝いを申し出たのだ。

 

「まさかとは思うけど、他の奥さん連中に 何か言われたのか?」

「? 何言ってんの?」

「マーロンが言うんだよ。 ママが若くてきれいだから、ヤキモチ妬いて意地悪する

おばさんがいるって・・・。」

何故 娘がそんなことを言い出したか、心当たりがあった。

ただし葬儀ではなく、学校行事に参加した時のことだ。

娘と同じクラスの母親何人かに、こんなことを言われたのだ。

 

『まあ、ずいぶん お若いのね。 お母さんだとは思わなかったわ。』

『ねえ、ご主人と いくつ離れてるの? いったい いくつの時にマーロンちゃんを産んだの?』

・・・

ブルマやチチにも、同じようなことを言われることがある。

だが それよりも、遥かに感じが悪かった。

その理由が 女の嫉妬であったことに、18号は今、ようやく気がついた。

 

「マーロンの奴、 ママを元気づけてあげてって何度も頼むんだ。

 今回来なかったのも、気を利かせたつもりなのかもな・・。」

それも あるかもしれないが・・・

母親である18号は、本当の理由をわかっていた。

13歳になったマーロンは、同じクラスに 仲の良い男の子ができたのだ。

携帯電話は まだ持たせていないから、自分の部屋から電話することができない。

おそらく 親が不在の間、存分に長電話を楽しむつもりなのだろう。

だが まあ、そんなことを夫に言うつもりはない。

 

18号の気分が塞いでいたのは、葬儀の後の 夫との会話のせいだった。

あの時、クリリンは こう言ったのだ。

『おれが この先、ああいうふうに病気で死んだとしたらさ、

もう 生き返らせなくても いいからな。』

18号は、普段通りの声を出そうと努めた。 

『なんで?』

しかし、うまくいったかどうかは わからない。

『・・マーロンが、悲しむだろ。』

『まあ、病気にもよるけどな。 とりあえず 病名がわかってから最期まで、

 ある程度の猶予があるんだったら もう・・・。』

そして、 こう付け加えた。

『おれは これまで、ずいぶん特別扱いしてもらってきたからさ。』

 

目の奥が、熱くなる。

お湯ではない 一筋の何かが、18号の頬を濡らす。

両手のひらで お湯を掬って、あわてて顔を洗おうとした。

けれども それは失敗に終わった。

彼女の夫に、止められてしまったためだ。

肩にまわしてきた腕と、強い力で こちら側に引き寄せようとする、彼の手によって。

ゆるく結んである髪を、そっと、優しく撫でながら クリリンはつぶやく。

「おまえは 何年経っても、ちっとも変わんないなあ・・・。」

 

 

翌日。 

宿の周りの名所を観光してから帰ろうと提案した夫に、18号は言った。

「あたし、都に寄って行きたいんだ。」

「そうか、いいよ。 何か買いたい物でもあるのか?」

「・・まあね。」

買い物に付き合うと言ってくれる 優しい夫を制して、落ち合う場所と時間を決める。

18号は足早に商業施設へと向かって行った。

 

二時間程ののち、待ち合わせした場所に現れた妻の姿を見て クリリンは目を見張った。

「いいじゃないか。 よく似合ってるよ。」

すかさず背後にまわり、後ろ姿をしげしげと見つめる。

白く きれいな うなじが見える。

「へえー、結構短くしたんだなあ。」

そう。 クリリンを待たせている間、彼女は美容院で髪を切っていたのだ。

普通の女性と同じく、髪の毛は しっかりと伸びてくる。

時々カットしているのだが、いつもは少し揃える程度で 基本のスタイルは変えなかったのだ。

襟足は かなり短くしたけれど、トップや前髪は長めに残した。

だから決して、少年ぽくは見えない。

 

「なんだか 女の人、女性ってかんじだな。」

「当たり前だろ、女なんだから。 以前は、どう見えてたのさ?」

「ん? 女の子、かな。」  「フン・・。」

形の良い唇に、苦笑いが浮かぶ。

「でも ほんと、すっごく似合ってるよ。 

マーロンが見たら、わたしも切りたいってさわぐんじゃないか?」

 

18号の表情を曇らせている、もう一つの理由。

それは まだ、自分の正体を一人娘に 打ち明けていないことだった。

このまま、隠し通すことも もちろん考えた。 だが・・・。

容貌が変わらないことと 改造手術の因果関係は不明だ。

けれど このまま、自分だけが ずっと変わらないのだとしたら。

 

「どうした?」  心配そうな声。

「何でもないよ。」  素っ気ない返事の後で、こんなことを言ってみる。

「あんたも一緒に行けばよかったね、 美容院に。」

「いやー、 おれは あんまりオシャレな店はなあ。 気後れしちまって。」

「その白髪を何とかしてもらうんだよ。 マーロンも、いつも言ってるよ。」

娘の名前を出されると、気持ちが やや傾くようだ。

自分の髪に、手で触れながら 口にする。

「そうか・・。 でもなあ、染めると、髪が傷むらしいからなあ。」

「そしたら また、剃ればいいだろ。」

「イヤだよ。 もう生えてこなくなっちまったら どうするんだ。」

 

おどけたような一言で、18号は笑ってしまう。

苦笑いではなく、声を上げて、心から。

ごく自然に 手が伸びる。  手をつなぐなんて、久しぶりだった。

夫と自分の手は何年もの間、

幼かった娘の小さく柔らかなそれと つながれていたから。

 

親の欲目を差し引いても、マーロンは素直な 良い娘だと思う。

だが もう、親と手をつないだりはしない。

あと もう少し経てば こんなふうに、好きな男と手をつないで 賑やかな街を歩くのだろう。

男親が どんなにイヤな顔をして、つべこべ言ったとしても。

そして それから、さらに数年経ったのちには、小さな我が子の手を引くことになるはずだ。

 

その光景を、 一人娘が大人の女になった姿を、18号は見たいと思う。

これまで、何かを強く願ったことなど なかった。

けれども、今は 見てみたいのだ。

自分が産んで育てた娘が、誰かを愛して 幸せになった姿を。

今、 隣を歩いている この男と一緒に・・・。

 

口数の少ない妻に、クリリンは また声をかける。

「どうかしたか?」

「なんでもないったら。」

つないでいる手は 初めてこうした日と変わらず、とても温かかった。