『この空を飛べたら』
[ 何と言いますか、このシリーズでは悟空の、男としての弱さみたいなものが
書きたい、というのがあったりします。
許せないと思われるかたは、閲覧を見合わせてください。]
C.C.を、都を 後にし、 ブルマの元から去った悟空。
彼は人里離れた山間部で、ただ ひたすら、修行に打ち込んでいた。
とどめをさすことをせず、見逃してやる形になったサイヤ人。
奴は きっと、また やってくるだろう。
来たるべき、 その日のために。
修行の様子を 偶然目にした登山家達は、皆 驚いて、腰を抜かした。
それほど、鬼気迫るものが あったのだ。
後ずさりながら、震える声で、彼らは こう 口にしていた。
「化け物だ・・・。」
一人になった悟空は つぶやく。
「化けもんかあ。 ・・そうかもしれねえな。」
あの恐ろしい敵を倒し、 または追い払うことができたのは・・・
努力が実を結んだためではなくて、自分の正体が、実は化け物だったから。
そんなことを考えて、悟空は口の端に 苦笑いを浮かべた。
自嘲。
それは彼の、これまでの人生には およそ、縁の無かった感情だった。
それにしても、彼のパワーは凄まじかった。
一所に留まっていると 山そのものを吹き飛ばし、周辺一帯を丸裸にしかねない。
そのことに気付いた悟空は、数日おきに場所を変えることにした。
その、何度目かの時。
「悟空さ。 悟空さでねえか。」
聞き覚えのある声が、耳に飛び込んできた。
「チチ・・。 なんで、」
「山菜を採りに来ただ。 おっとうの大好物だからな。 うちの方じゃ、もう終わっちまってるんだ。」
そういえば ここから、チチの住まいのあるフライパン山は遠くなかった。
修行の場を探して さまよっているうちに、偶然辿りついてしまったのだ。
「修行、がんばってるだな。 それはそうと、ずいぶん きたなくなっちまって・・。
なんだか ちょっと、におうだよ。」
小さな鼻を ひくつかせて、付け加える。
「それに・・ やせたんでねえか?」
黒い瞳で、彼の顔を じっと見つめながら。
確かに ここしばらくは、最低限の栄養補給しかしていなかった。
チチの一言で 久しぶりに、空腹であることを自覚する。
すると同時に腹の虫が、大きな声で鳴き出した。
「あー・・。 あいにく、弁当は さっき食っちまっただ。」
明るい声で、チチは続ける。
「なあ、 おらの家に寄って行かねえか?
風呂に入って さっぱりして、その間にメシの支度をしといてやるだ。」
それでは、一人になった意味が無い。
断ろうと、悟空は口を開きかけた。
それなのに、ジェットフライヤーを出そうとするチチの手を、彼は押しとどめていた。
両腕で、山菜の入った大きなかごを抱えているチチ。
荷物ごと 彼女を抱きかかえる形で、悟空は飛んだ。
「あ、 わりい。 におうって言ってたよな。 ちょっとの間、我慢してくれ。」
「平気だ、そんなの・・。」
うつむき加減で、いつになく 口数が少ない。
その様子は・・・
ブルマを抱いて 夕闇の迫る空の上を飛んだ、あの日のことを思い出させた。
ともあれフライパン城で、悟空は温かく迎えられた。
父親である牛魔王は、亀仙流の後輩でもある彼のことを とても気に入っているようで、
特に手厚い もてなしぶりだった。
城には使用人もいるのだが、食事作りは チチの担当らしい。
次々と運ばれてくる、心づくしの料理の数々。
「ひゃあ、うまそうだな。 いただきまーす。」
胃袋とともに、心まで満たされていく。
食べることの楽しさを、彼は久しぶりに味わった。
その後、勧められるままに 数日を過ごしてしまったことは、悟空の弱さだった。
彼は化け物などではない。
人として、男としての、寂しさ・・ 心の弱さだった。
城から少し離れた場所で、悟空は体を動かしていた。
「せいが出るだなあ。」
やって来た牛魔王に、話しかけられた。
話は いつの間にか、チチの母親、亡くなった妻のことになっていた。
「気立てが良くてなあ。 料理が、抜群にうまくてよ。」
「へえー。 チチと、おんなじだな。」
「それだけじゃねえ。 ものすごい べっぴんだっただよ。 チチより、もうちょっとな。
これはナイショ、ここだけの話だけどな。」
ひとしきり、笑った後も話は続く。
「ほんとに いい嫁で、いい女だっただ。 親の決めた縁談を断って、オラの所に来てくれてな・・。」
「ふうん。 おっちゃんも若え頃は、いろいろ あったんだな。」
「そりゃあ オラだって、昔から おっさんだったわけじゃねえだよ。」
一旦、言葉を切る。
「だからな、オラは うるさいことを言うつもりはねえんだ。
悟空さん、 あんたの これまでのことも、気にしねえ。」
「・・・。」
ブルマの存在を、牛魔王は知っていたのだ。
「チチを選んで、大事にしてやってくれるんなら、オラは何にも文句はねえよ。
だが、それが できねえんだったら・・ 」
「うん。 そうだよな。 わかったよ、おっちゃん。 チチに、ちゃんと話すよ。」
「悟空さん・・。」
小山のような背中を丸めるようにして、彼の 次の言葉を待つ。
「世話んなったな。 すごく楽しかったし、助かった。 ほんとに、ありがとな。」
城に戻った悟空は、同じ言葉をチチに告げた。
チチの、大きな黒い瞳。
その周りに、みるみるうちに赤みがさしていく。
悟空はうろたえた。 女が・・ 人が泣いているところを見るのは苦手だ。
実を言うと自分自身も、泣いたことはあまり ないのだ。
育ての親だった老爺が死んでしまった時、
ドラゴンボールを見つけるための勝負の際、思いがけずに再会した時。
そのほかは・・ ああ、そうだった。
数か月前、 まだ この暮らしを始める前。
ほかならぬ、チチの前で、涙を流したのだ。
けれど、チチは泣かなかった。
「そうか。 悟空さが そう言うんなら仕方ねえだな。 でも、そのかわり・・ 」
続きを口にするのには、少しばかり時間が かかった。 涙をこらえていたためだ。
「出発は、明日にしてほしいだ。 最後に、とびっきり うまい弁当をこしらえて持たせてやるだよ。
だから、な。」
悟空は黙って うなずいた。 そうすることしか、できなかった。
その夜は、いつもよりも早く 床についた。
深夜、 扉が開く音が聞こえた。
ひたひたと、小さな足音も聞こえてくる。
客間のベッドで休んでいた彼に、誰かが覆いかぶさった。
唇が、押し当てられる。 柔らかな感触、 頬をくすぐる長い髪。
チチだ。
けれど、そこまでだった。 それ以上のことを、彼女はしなかった。
どうしていいのか、わからなかったのかもしれない。
あきらめたように 体を離して、広いベッドの端に身を沈める。
悟空に、背を向けてしまう形で。
悟空は、何もできなかった。
何と言ってやればいいのか、見当がつかなかった。
チチの寝息が聞こえてきたら、夜明けを待たずに出発しよう。
ただ それだけを、考えていた。
チチは、夢を見ていた。
貫けるように白い肌の女が、黒い髪の男に組み敷かれている・・ 抱かれている。
男は小柄であるが、筋骨逞しく、鍛えぬいた肉体を持っているのが わかる。
その背中に、女は腕を きつく まわして声をあげる。
甘く かすれる喘ぎ声。 まるで、歌っているようだ。
重なり合った男と女、 その動きはリズミカルと言って良く、踊っているようにも見える・・。
もう一人、 男が現れた。
上背のある、黄金色の髪を持った男だ。
彼は手を伸ばすと、女の上にいる男の、黒い髪をぐい、と掴んだ。
そのまま、引き離す。 力を込めて殴りつけ、足蹴にする。
黒い髪の男も 応戦は している。 だが、力の差は歴然としていた。
ついに とどめをさすかに見えた、その時。
先程の、真っ白な肌の女が、明るい色の髪を振り乱しながら 駆け寄って来た。
ついさっきまで自分を抱いていた男の上に、覆いかぶさる。
身を投げ出して、まるで 庇っているかのように・・・。
その様子を 金髪の男は、何も言わずに見降ろしている。
しばしののち、ようやっと口を開いた。
ある名前を、彼は口にした。
『ブルマ。』
驚いたことに、彼の髪は 黒に変わっていた。
「おい。」
揺り動かされて、目を覚ました。
夢の続きを見ているのだろうか。
夢の中にいたはずの 黄金色の髪の男が、目の前にいるではないか。
「なんだって ここにいるんだ?」
やや乱暴に、顎を掴まれる。
「オレに、抱かれに来たのか?」
翡翠色の瞳。 話し方も まるで違う。 けど、声は同じだ。
この男は悟空だ。 知っている。
だって、夢でも そうだったから。
でも どうして 今も、こんな姿なのだろうか。
もしかすると、同じ夢を見たのだろうか・・・。
「どうした。 口が利けなくなったか?」
「・・・。」 チチの、負けん気が頭をもたげてきた。
「そうだ。」
いつもと違う顔を見据えて、一気に告げる。
「おらは、あんたに抱いてほしくて この部屋に来ただよ。」
どこかに行っちまって もう 戻ってこないつもりなら、せめて 最後に、思い出がほしい。
付け加えた言葉が終わらぬうちに、着ていた物を剥がされる。
荒々しい愛撫、 まるで、口を塞ぐためのようなキス。
それでも チチは、両腕を伸ばして、男の背中を抱きしめた。
夢の中に出てきた、あの女と同じように。
チチが、再び瞼を開いた時。
目の前に あったのは やはり、悟空の顔だった。
「チチ・・ すまねえ。 オラ、いったい 何て言って謝れば・・。」
瞳の色も、髪も、いつもどおりの黒に戻っていた。
謝ることなんか ねえだよ。 おらがそうしてほしいって頼んだんだ。
そう言ってやるつもりだった。
それなのにチチは、全く別のことを口にしている。
「だったら、行かねえで。」
「チチ・・。」
「ここに いてくれ。 どこにも行かねえで、このまま ここに、おらのそばに・・・ 」
ついていくことも考えた。 だが、それは できないのだ。
父親を一人ぼっちにしてしまうことは、彼女には できなかった。
窓の外は もう、日が昇り始めていた。
部屋の外が、ざわついている。 使用人たちのようだが、どうも 様子がおかしい。
床に落ちていた寝間着を拾って、身につける。
ところどころ破れていたけれども、仕方が無かった。
二人は階下に下りて行った。
牛魔王も もう、起きていた。
「大変なことが起こっただよ・・。」
それだけを言って、TVの画面に見入っている。
どのチャンネルも、同じ映像を流している。
こんな時間なのは、時差の関係だろう。
西の都に 奇妙な乗り物が、まるで墜落するように 着陸した。
中からは無傷の人間、 一人の男が出てきた。
何の装備も無しに、男は身一つで空を飛んだ。
宇宙人なのだろうか。 TVは そう騒いでいる。
その男は迷うことなくC.C.に向かい、令嬢であるブルマを、どこかに連れ去ってしまった・・・。
映像は そこで、男がブルマを抱えて飛び去る姿で終わっていた。
遠くから、かろうじて撮影したとおぼしき それでは、表情までは わからなかった。
「オラ、行かねえと。」
険しい表情、 きっぱりとした言葉の後で、悟空は小さく付け加えた。
「すまねえ、チチ。 ごめんな。」
窓から外に出て行った彼は、夜が明けたばかりの空に浮かび上がり、
あっという間に見えなくなった。
「悟空さ!」
裸足で、乱れた寝間着姿のままで、外に出たチチは走った。
追いかけたって無駄だ。 そんなことは わかっている。
それでも走った。 そうせずには いられなかった。
伸びた草に足をとられ、膝をついて、地面に倒れ込むまで。
涙と嗚咽が溢れ出す。 止まらない。
父親のそばを離れることなく、生まれ育った城を中心に、彼女は生きてきた。
声をあげて泣いたことなど、これまで ほとんど無かったのだ。
この前 泣いたのは、一体 いつだっただろうか。
もしかしたら、母親が死んでしまった時かもしれない。
だが はっきりとは覚えていない。
あまりにも、幼すぎたためだ。
また 会うことができるだろうか。 初めて愛した男、孫悟空と。
わからない。
そして・・・
自分の中に、新しい命が芽吹いたという事実。
そのことも、彼女は まだ、わかってはいないのだった。