『ベイビーブルー』
高校に入学して、ひと月ほどが過ぎた ある休日。
わたしはパパと都に出かけた。
パパと二人きりなんて、久しぶりだ。
ちょっとだけお洒落なお店で お昼ごはんを食べて、いろんなお店を見てまわった。
かわいい洋服が欲しかったけれど、目移りし過ぎて選べなかった。
お天気がいいせいか、すごく人が多い。
公園のベンチに並んで腰かけて、ほっと一息ついた時。
おもむろにパパが口を開いた。
「マーロン。」 「なあに、 パパ。」
「大切な話があるんだ。 びっくりしないで、落ち着いて聞いてくれ。 あのな・・ 」
・・わたしだって、もう 小さな子供ではない。
何となく、少しずつだったけれど、自分でも理解し始めていた。
ママ、 そして ママの双子の弟である叔父さん。
あの二人が、普通の人間ではないということを。
記憶を消されているから、はっきりしたことは わかっていない。
だけど おそらく、ママたちが悪いわけじゃない。
それにママたちは、無闇に人を傷つけてはいない。
ただし、 この世界では・・・。
そういったことを、パパは自分の言葉で 懸命に わたしに伝えようとする。
「このまま、隠し通すことも考えたよ。 だけどマーロン、おまえは18号とおれの たった一人の娘だ。
だから やっぱり、話しておかなきゃって思ったんだ。」
「・・・。」
言っていることは、よくわかる。 だけど、どうして今なんだろう。
無事に高校生になったから?
わたしにだって、悩みは いっぱいあるっていうのに。
こんな気持ちじゃ、家に帰って いつもどおり振る舞えそうにない。
パパに向かって わたしは言った。
「ちょっと用事を思い出しちゃった。 友達の家に行ってくる。」
「え? 今からか? もう、夕方になっちまうぞ。 学校でじゃダメなのか?」
返事をせずに、わたしは歩き出した。
「友達の家って、どこにあるんだ。 おい、マーロン!」
小走りで 横断歩道を渡って、わざと人の波に紛れた。
しばらく歩いて振りかえると、パパの姿は もう見えなくなっていた。
先月買ってもらったばかりの携帯の電源を切ってしまい、さらに歩き続ける。
パパと一緒だったから、財布を持ってきていない。
だけど、別にいいと思った。
なんだか ひどく、投げやりな気分だった。
「あの、すみません。」 すれ違いざまに声をかけられる。
わたしよりも、いくつか年上の男の人だ。
「はい、何でしょう。」
そう派手ではない、真面目そうな人。 道でも尋ねられるのかと思った。
だけど、違った。
「あの・・ 僕の友達が店をやってるんだけど、お客さんがいないから連れてきてって言われちゃって。」
? なんだろう、これは。 目的がよくわからない。
「君みたいな かわいい子を連れてきてほしいって。 だから、一緒に・・・ 」
「・・。 わたし、別に かわいくないので、他の人に頼んでください。」
早口で答えて、その場を立ち去ろうとした時。
聞き覚えのある笑い声が耳に届いた。 こんな言葉とともに。
「からまれてんのかと思えば、何だよ それ。 よくわかんないな。」
「叔父さん。」
「おまえのおやじから電話をもらったんだよ。 心配してたぞ。 さ、来い。」
有無を言わさず、肩を抱くようにして歩き出す。
声をかけてきた男の人に、「悪いな、おれの姪なんだ。」
そんな一言を残して。
「どうして居場所がわかったの?」
叔父さんは、気が読めない・・ ううん、読む必要が無い。
それに、武術をやっていない わたしの気は、とても小さくて わかりにくいらしい。
「何となく わかるさ。 おれは街に詳しいからな。」
路地裏に視線を向ける。
「ガキの頃はさ、あいつと一緒に、ああいう所で寝起きしてたんだぜ。」
「・・・。」
口を開こうとした、その時。
同じくらいの年の派手めな女の子が数人で、こちらに向かって歩いてくるのが見えた。
わたしに気付くと、一様に驚いた顔をした。
叔父さんの方を見ながら 肘でお互いを突付き合い、何やら耳打ちし合っている。
去り際に小さく手を振ってくれた子も 中にはいたけど、はっきり言って感じが悪い。
「なんだ、ありゃ。」 「おんなじ学校の子よ。」
「へえ。 友達か?」 「違うわ。」
わたしは まだ、学校に友だちがいなかった。
中学までは、たくさんいたのに。
成績が良い友達と、ほんの力試しのつもりで エスカレーター式の学校を受験してみた。
そしたら、わたし一人だけが合格してしまった。
周りに強く薦められて いざ入学してみれば、
付属から一緒だという人たちばかりで とても肩身が狭い。
それに お金持ちの子ばかりだから、いろいろと ついていけなかった。
「ふうーん。」 「・・くだらないって言いたいんでしょ。」
「いや。 おまえの不機嫌の理由は、あいつのことを聞かされたせいだけじゃないんだ、って
思ったんだよ。」
あいつというのは、ママのことだ。 パパは電話で、そこまで話したらしい。
「いろいろ大変なんだな。 おれも あいつも、学校なんて所に行ったことないから
よくわかんないけどさ。」
さっきも思ったことだけれど、記憶を消されているのではないのだろうか。
適当に つくり話をしているのか、 それとも・・・。
改造されてから、もう長い年月が経っている。
普通の生活をしているうちに、昔の記憶を取り戻したのかもしれない。
だったら、ママも そうなのだろうか・・・。
護ってくれる人など いそうもない路上での暮らし。
わたしには とても、想像すらできない。
何かから必死に逃げ回っているうちに、悪の組織とやらに捕まったのではないか。
そんなことを勝手に考えていたら、携帯の着信音が聞こえてきた。
わたしのじゃない。
「いたよ。 一緒にいる。 ○×ビルの近くにいるから、その辺りで待ってるよ。」
通話を終えた 叔父さんに尋ねる。
「今の、パパ?」
「ああ。 あそこで待ってようぜ。」
近くにある コーヒーショップに向かって、叔父さんは歩き出す。
仕方なく わたしも、後について行った。
「好きなものを頼めよ。 おまえのおやじに、後で払わせるからさ。」
「・・コーヒーでいい。 コーヒーショップだもの。」
そりゃそうだな、と おかしそうに笑って、二人分の注文を済ませて席に着く。
ちゃんと、外から見つけやすい席を選んだ。
さっき、頭に浮かんだ疑問を口にしてみる。
「ねえ、叔父さん、記憶が戻ってるの? だって、さっき・・・ 」
「さあな。 ま、大体そんな感じじゃないかって思ったんだよ。」
どちらとも 受けとれる答え方。 わたしは、もう一つの質問をする。
「叔父さんの、本当の名前って なんなの?」 ママもだけど。
そう。 わたしがまず おかしいと気付いたのは、二人の名前についてだ。
だって、これは番号だ。 名前とはいわない。
「名前ね。」
叔父さんは、一旦言葉を切る。 コーヒーを飲むために。
「その場しのぎの嘘を教えるって、思わないのか?」
「それでもいいわ。 叔父さんが何て答えるかを、聞いてみたいの。」
わたしは多分、真剣な表情になっていたと思う。
「教えてもいいけどさ。 そのかわり・・・ 」
わたしたちはテーブルではなく、カウンターの席についていた。
隣に座る 叔父さんの顔が、次第に近づいてくる。
ママと同じで、ちっとも年をとらない。
ママによく似ているけれども、やっぱり男の人だと思える顔立ち。
男のくせに、憎らしくなるほど きれいな顔だ。
そんなことを思っていたら いきなりパッと離れて、大きな声で笑いだした。
「何よ。」
「悪い 悪い。なんだか、おかしくなっちゃってさ。」
「何がよ・・。」
今始まったことじゃない。 叔父さんときたら、いつだって こんな調子なのだ。
たまに会えば わたしの顔をジロジロ眺めて、見つめ返すと大笑いする。
もう慣れっこだけど、ものすごく失礼だと思う。
「まあ、おれの名前なんていいじゃないか、どうでも。」
「・・・。」
「どっちにしろさ、呼ぶのに困るから 適当につけられたんだよ。
親が一生懸命考えてくれた、おまえとは違う。」
わたしは何も、言えなくなった。
「マーロン!」 パパの声。 店まで迎えに来てくれた。
叔父さんに向かって、深々と頭を下げる。
「悪いな、面倒かけちまって。」
「まったくだぜ。 これからは、娘の気ぐらい読んでやれよ。」
そう言って席を立ち、出口に向かおうとする。
「何だよ、行っちまうのか。 一緒に来いよ。 うちで夕飯を食えばいいじゃないか。」
「・・そんなに暇じゃない。 女を待たせてるからな。」
嘘だ。 なぜか そう思った。
「女? 恋人か?」 「別に。」
「ちゃんと付き合って、いい加減 身を固めろよ。 姉ちゃんがいつも、心配してるぞ。」
姉ちゃん。 ママのことだ。 叔父さんの、声のトーンが変わる。
「余計な お世話だよ。」
そして、わたしに向かって 声をかける。
「マーロン。」 「えっ?」
「おまえも早く 男をつくれよ。 おやじを うんと心配させてやれ。」
「おい! 無責任なこと 言うなよ。」
それには返事をせず、背中を向けて2〜3度 手を振り、叔父さんは店を出て行った。
来た時と同じように、パパと二人で ジェットフライヤーで家に帰る。
ドアの前で、ママは待っていてくれた。
「遅いよ。 早く家に入りな。」
偶然 触れた、手の冷たさに驚く。
いったい どのくらいの間、外で待っていたのだろう。
小さな声で わたしは言った。 「ごめんね。」
ママは何も言わなかった。 けれど 家の中は温かで、
おいしい夕ご飯の匂いで満たされていた。
マーロン。
おれは おまえの顔を見ると、なんだか いつも笑っちまう。
だってさ、おかしいじゃないか。
あいつの中から生まれてきたってのに、クリリンの奴とおんなじ顔だなんてさ。
だけど ここ何年か、ちょっと変わってきたんだよな。
鼻筋が通ってきて、丸顔じゃなくなって、体つきまで なんだか あいつによく似てきた。
なのに、おれを見つめ返す目は やっぱりクリリンとおんなじで、どうしても笑っちまうんだよ。
学校ってとこで、楽しくやれるといいな。
いろいろ、やってみればいいさ。
もし、どうしようもなくなったら、 その時は おれが始末をつけてやるから。
あの日から数カ月。
わたしは学校に すっかり慣れて、わりと楽しくなってきた。
少しずつだけど、友だちもできた。
話してみれば、意外といい人たちだった。
だけど、好きな男の子は まだ、いない。
多分、しばらくは できないと思う。