080.『きず』
[ ブラ誕生後から少し経ったC.C.が舞台で、
馴れ初めの頃のエピソードが含まれています。]
居間に置いたベビーチェア。
背もたれを倒して、小さなベッドとなった その上で、ブラは すやすやと寝息を立てている。
まだ、宵の口だ。
こういう半端な時間に眠ってしまうと、へんな時間に目を覚ましそうで困るんだけど…
ともあれ、今は この、思いがけない自由時間を有意義に使わなくては。
そんなわけで わたしは、トランクスにブラの見張り番を頼み、バスタイムを楽しむことにした。
髪と体を、いつもよりも丁寧に洗った後は、大きな浴槽に ぬるめのお湯をたっぷりと張る。
そして その中に、一糸まとわぬ体を ゆっくりと沈ませていく…
「あーーっ、 気持ちいい! 天国ねー。」
お湯の中、手足を大きく伸ばした後で、わたしは自分の下腹部に視線を落とした。
ブラを産んでから、三か月が過ぎようとしている。
体重の方は、すっかり元どおり。 なのに体型は、残念ながら まだ完璧とは言い難い。
「何とか時間をつくって、エステに行くようにしないと。 あと できればジムにもね。
あーあ、ますます忙しくなるわ…。」
ため息をついて ひとりごち、たるんでしまった皮膚を指でつまむ。
それと同時に、指先が あるものをとらえた。
傷跡だ。 今から三か月前に、できた傷。
そう、ブラを産むために できたものだ。
当時の体調、体力、それに諸々の事情を考え合わせて、
わたしはブラを、お医者様の手による手術で産んだ。
「名誉の負傷ってやつよね。 … 」
この言葉を口にするのは、多分十数年ぶりだ。
あれはトランクスをさずかる前。 ベジータと そうなってから、まだ日が浅かった頃のことだ。
温かなお湯につかりながら、わたしは思いを巡らせ始める。
深夜、ベッドの上。
自分勝手なやり方で わたしを抱いたのち、ベジータときたら なんと、こちらに背を向けてしまった。
『まったく、つくづく失礼な奴ね、あんたって!』
文句だって言ってやったし、実際 かなり腹も立った。
でも、うれしさもあった。
用が済んでも出ていかないこと、わたしと同じベッドの上に、まだいてくれることが うれしかった。
彼にとっては休憩、仮眠、 あるいは気まぐれ… それでも。
裸の背中に額をつけて、頬を、唇を押し当てた。
体温とともに伝わってくる、いくつもの傷跡の感触。
その姿勢のまま、話しかける。
『きれいに消せるわよ、この傷跡。』
そんな話に のってくるはずがない、それはわかっていた。 でも続けた。
『あんた 王子様でしょ。 だったら傷跡なんか、無い方がいいんじゃない?』
何だっていい、何か言ってほしかったためだ。
『だってさ、いつかお妃さまを迎えるんでしょう…? だったら、きれいな体の方が よくない?』
つぶやくように付け加える。 すると 彼はフン、とバカにしたように鼻で笑った。
ようやっと、口を開く。
『そんな必要は無い。』
必要無い。 それって、傷跡を消すこと? それとも…。
気を取り直し、わたしは新たに問いかけた。
『もしかして、名誉の負傷だから 残しておきたいとか?』
めずらしく、間をおかずに彼は答えた、 ううん、質問で答えを返した。
『あの男は おまえに、そう言っていたのか?』
『 ! 』
今度は わたしが、黙る番だった。
あの男。 それは もちろん、ヤムチャのことだ。
激しい修行の末、顔に残った大きな傷跡。
手術で消せると勧めるたびに ケンカになった。
ベジータは、そのことを言っている。 興味なさげな顔をして、しっかりと見ていたらしい。
それは ともかく、少し前に、ヤムチャは出て行った。
わたしの変化に、気持ちの揺れに、あいつは ちゃんと気付いていたのだ…。
その時。 『! きゃっ! 』
ベジータが、いきなり こちらに向き直った。
『んっ、 く… っ 』
体重をかけて のしかかられ、唇を塞がれる。
息が しにくい、苦しい。 だけど決して、押し返したりしない。
両手を伸ばし、その背中に指を這わせる。
つい さっきまで 頬と唇で感じていた傷跡を、指先を使って なぞる。
頭の中で、数を数える。 一、二、三 …
この男に抱かれるのは何度めだろうか。
だけど夜、ベッドの上で、二人ともが服を脱いで抱き合うのは、その夜が初めてだった。
「ふふっ、なつかしいわね。 さ、そろそろ上がらなきゃ… !」
浴室のドアが開いて、ベジータが姿を見せた。
何も言わずに、まるで当然みたいな顔をして、わたしのいる湯船に入ってくる。
ふと思い立ち、わたしは、彼に向かって手を伸ばした。
その手を取って、自分の腹部に当てさせる。
それはブラが おなかにいた頃、何度となく していたこと。
今、ふくらんでいない そこには、わたしの名誉の傷がある。
だけど、 「もう少ししたらね、お医者様に頼んで きれいにしてもらおうと思ってるの。」
何も言わない彼に向かって続ける。
「だって泳ぎに行く時はビキニが着たいもの。 もっと年とって、ブラが大きくなっても そうしたいわ。」
姉妹に間違えられるのが目標なの。
さすがに、友達同士には見えないだろうから…。
そう言い添えるとベジータは、呆れたように鼻で笑った。
昔と、同じように。
「それにね、傷なんか無くたって、ブラはわかってくれると思うの。
自分が、大切に守られて この世に生まれたってこと。」
そう言った後、お湯の中、向き合っているベジータの、頬を両手で包みこむ。
今日の彼は、意地悪く 顔を背けたりしない。
だから容易に、唇が触れて重なる。
その、わずか数秒後。
[ ふんぎゃーーーーー!!!]
浴室の壁に埋め込まれたスピーカーから、けたたましい泣き声が聞こえてきた。
同時にトランクスの、悲壮な声も。
[ さっきから泣いてるよ。 いいかげん上がって、戻って来てよ!]
「あらあら、大変!」
脱衣所に戻り、あわてて体を拭いていると何故か、ベジータまで やって来た。
「? 髪や体、洗わなくていいの?」
「もう、さっき済ませた。」
うふっ。 なーんだ、わたしと入りたかったのね。
このところ ブラのことで忙しくて、あまり ゆっくりできなかったもんね。
うれしくて、またキスが したくなった。
でも今は、ブラとトランクスがわたしを待っている。
ああ 今日は、ブラは きっと、夜遅くまで寝付かないだろう。
それでも、たとえ何時になっても わたしは、愛する夫の隣で眠る。
クタクタに疲れてしまい、抱き合うことは無理かもしれない。
それでも背中に、そっと寄り添う。
シャツを捲って、頬を寄せて口づける。
今では もう、すっかり馴染んでしまった、彼の背中にある たくさんの傷跡に。