190.『目覚めるとき』
夜明け。
花のような香りに鼻腔をくすぐられた気がして、目を覚ます。
都から遠く離れた荒野。
激しい訓練の後、
体を横たえていたベジータは、気づかぬうちに眠ってしまっていたようだ。
木の一本すら無いこんな場所で何故、花の香りなど感じたのだろうか。
それは彼が見ていた短い夢のせいかもしれない。
舌打ちをしてベジータは立ち上がり、まだ明けきらぬ空に浮かんだ。
持ってきた食糧は底をついた。 調達するのは時間の無駄だ。
戦闘服が、替えも含めて傷んできている・・・。
彼は自分の中であれこれと理由を探す。
西の都の、あの場所に戻るために。
花だと思いこんでいた甘い香りは、彼の記憶によるものだった。
夢の中で、 ベジータはブルマを抱いていた。
時差のため、西の都は夕暮れ時だった。
ベジータはC.C.の敷地に降り立つ。
見覚えのある人影が近づいてくる。 長身の男。
「・・・よぉ。」
一瞬表情がこわばったものの、明るく声をかけてくる。
少し前に出て行ったヤムチャだった。
肩に、相棒のプーアルを乗せている。
「落ち着き先が決まったからさ。 博士たちに改めて挨拶してきたんだ。
これまでずいぶん、よくしてもらったから・・・ 」
無視を決め込んでいる様子のベジータに、男のものではない甲高い声が浴びせられた。
「あなたは、ブルマさんを幸せにできるの?」
「プーアル・・・ 」
小さな相棒の、思いがけない一言にヤムチャは驚く。
ベジータは足を止めた。
怪訝な表情。 意外にも、彼は言い返さない。
言葉の意味がわからないのではないか。
そう理解したヤムチャは諭すように言った。
「ブルマは、男に幸せにしてもらおうとは、あまり考えてないと思うよ。」
そして付け加える。
「でも、ベジータ、 おまえがブルマのことを少しでも大切だと思うなら・・
あんまり悲しませないでやってくれ。
あいつはすごい科学者だけど、普通の・・・ 」
言葉の途中でベジータは立ち去った。
ヤムチャは思う。
自分が愛していたのは、ブルマの平凡な、 普通の女の面だった。
結局何も言わなかった、あの男はどうなのだろうか。
自分に足りなかったものを、彼女に与えてやれるのだろうか・・・
答えは、まだわからない。
ヤムチャは思い出の詰まったC.C.を見上げて、一礼をした。
ロックしていないドアを開けると、ブルマが窓辺に立っていた。
「ベジータ・・・ 戻ったのね。」
涙をぬぐうような仕草をしながら、 こちらを見ずに話す。
「明日から、重力室を使うからな。 その間に戦闘服一式の替えを作っておけ。」
ブルマの後姿。
苛立ちのような、焦りのような感情が湧きあがってくる。
「聞こえてるなら、なんとか言え。」
「・・・わかったわ。」
ブルマはまだ、こちらを見ない。
「この俺が、命じてやってるんだからな。」 「そうね。」
反抗されているわけでもないのに、ひどく苛立ってくる。
こんなことなら、 いっそ、 ひと思いに・・・
ベジータは手を伸ばした。
その手は彼女の細い腕をとらえる。
注意深く、抱きよせる。
華奢な背中。 ひどくやわらかな胸。
彼の腕の中にいる時、彼女の瞳から涙は流れない。
うるんだ青い瞳は、彼だけを映し出す。
「ブルマ。」
初めて、名前を呼んでみる。
今朝の夢と同じ、甘い、甘い香りに満たされる。
この想いが何であるのか、ベジータが理解するのは、まだまだ先だ。
しかしその時彼が抱いていたのは、 確かに幸福感だった。